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漂流図書室物語03『返信なき往復書簡』

拝啓 親愛なる16のわたしへ

 睦月も中旬の大阪は、ひどく冷え込んでいます。実際の気温はわかりませんが、少なくとも心が冷えた感覚があります。あなたはお元気でしょうか。

 訳合ってあなたに手紙を書くことにしました。16のわたしです。時間の法則上、返事はあり得ないでしょう。返信の期待できない往復書簡です。それでも往復と付けたいのです。

 万が一16のわたしが目にした時のために具体的なこと、ディティールは書けないことをご容赦ください。昨年、20☓☓年というのは驚きに満ちた年でした。悲嘆とも言えます。世界は混迷を極め、何よりわたしが混乱の最中に置き去りになりました。16のわたしに書簡を出すという愚行に走るほどです。

 今のわたしは大学2年生の20歳です。あなたの4年後がわたしということになります。地元から出て、とある大学に下宿して通っています。わたし(あなたの4年後)は、この年末年始は実家に帰れませんでした。ハタチで帰省できない、というのはいつも通りの成人式を送れないことを意味します。(それくらい社会情勢は大変なのです)

 つまり、帰省できないのはわたしに限らず、多くの同窓生もそうだということです。しかし、成人というタイミングは一生で一度切りです。どうにか開催方法はないかと一部が苦心して、集団でのビデオ通話サービスを利用することになりました。オンラインで、擬似的に同窓会のような体験を分かち合おうと。そうして、昨日わたしはオンラインの成人式(のようなもの)を終えたところです。いま、わたしの中心にはぽっかりとした、丸い穴があります。ドーナツの穴とは一体なんなのだろうかと考えたころがありましたが、いざ自分の重心に穴があくと驚きです。大きな変化はないのです。暮らしや生活に微々たる影響もなく、あるのは「穴が空いている」という事実だけです。

 下宿について触れましたが、つまるところ、18のタイミングでわたしは故郷を出ます。父、母のそれぞれと抱えた葛藤を置き去りに、自由を目指して関西へと向かいます。そこでは、まるで生まれ変わったかのように大学生活をはじめました。表現が難しいですが、「地元」や「故郷」「ツレ」「家族」などが、まるで存在しなかったかのようにまっさらに生きてきたのです。

 大学1年の夏休みに1度帰省をしましたが、呪いそのものでした。考えうる限りの古い因習で蔓延っていて、あらゆるもの・ことがわたしを縛り付けようとしてきました。今、あなたが高校や大人に感じている憤りと大方おなじものです。それは、あなたをずっと苦しめ続けるのです。

 それからは帰省の誘いをやり過ごして18ヶ月ほど経ちました。今度は社会的に「帰省できない」 という理由で下宿先に磔になってしまい(本当に20☓☓は大変な年でした。大学もほとんど全て自宅からPCで受講しましたから)、オンラインの成人式になったというイキサツです。

 さて、問題は「穴」とか「丸」の話に戻ります。「成人式」を経て、わたしは穴を抱えます。あるいは、抱えていた穴が暴かれたとも言えます。18に地元を飛び出し、同年の夏にもう一度飛び出し、「故郷」を抑圧して暮らしました。ここではないどこかへ向かいたくて、あなたが大学生にイメージする選択肢に入らないような、社会的な活動に従事しています。高校から大学になっても、相変わらず教育機関は教育機関。希望を持って関西に出てきたけれど、その希望はここにもありません。

一体わたしは、どこまで行けば充足できるのでしょうか。

 呪いをかけてくる故郷に嫌気が刺して関西に飛び出しました。その関西は、ジリジリとわたしを縛り付けて来ている気がします。東京にできた友人も、さほど変わらないようです。大人を見渡してみても、あまり親と変わらない気がします。

 もしかすると、こんなわたしにはどこにも居場所がないのかもしれません。悪いのは故郷でも都会でもないのかもしれません。わたしの中にあるこの「空白」が、どこにいてもわたしを苦しめているのかもしれません。そう考えると恐ろしくて仕方がない。わたしがわたしを苦しめている、ということは、わたしがわたしを満たしうるということですから。

 わたしは、満たされるのが恐い。心が隙間なくぴたりと埋まるような、そんな充足に恐れ慄いています。その恐れこそが、空白の正体であるかもしれない。「故郷の呪い」がオートスクロールステージのように後ろから押し寄せてきていたが、今度は前から不可避なボスキャラが、「充足の恐れ」が迫ってくるのです。

 そうしてジレンマに苦しめられる中で、わたしは一つ記憶を思い出しました。16の時に体験した、ある景色です。

 しとしとと雨の降る6月の通学路。合羽を着て、自転車を押して歩く生徒たちの連なり。必要以上の声量で叱咤激励をする生徒指導の教師。閉め切った教室を開けると、30ほどの見慣れた顔が、シケた面で英単語帳とにらめっこしている。担当教師がなぜか緊張感を放ちながら入室し、罰則のあるテストを配りはじめる。あの、統制された空間。歪な人間たちを、生徒という枠組みでデフォルメして、卒業する頃には綺麗な直方体で排出するあのシステム。

 あの頃の憤りの集積が、自分を支えているのかもしれません。あの時から、いやもっとずっと前から、ぼくはここではない遠いどこかを見ていました。そして、自分ではない誰かへの眼差しを忘れなかった。どこまでも遠いわたしを体験せんと日々試行錯誤するエンジンは、あの頃の憤りなのかもしれない。わたしにとって、故郷への憤りこそが「ふるさと」なのです。誰がどんな綺麗事や御託を並べても関係ない。少なくとも今のわたしにとって、故郷の記憶への憤りこそが「ふるさと」だ。大嫌いで抜け出したあの場所は、今もわたしを影で支え、同時に縛り続けている。呪いと憤りという関係性を持ってして。

 時間の法則上、この手紙に返信はあり得ません。しかし、往復書簡としたい。いわば、返信なき往復書簡。わたしは、この書簡を16のわたしに届けるつもりで書き始めました。しかし違った。わたしは、わたしの中に残存する16の影に対して書簡を供したのです。締めくくりが迫り、漸くそれが理解できました。恥ずかしいふるさとで産まれ育ったわたしは、やっぱり恥ずかしい存在なのかもしれません。

 16のあなたが、歪に育ったわたしとは違った故郷との関わりを見出してくれることを切に願っています。そうせずには、わたしの空白は救われないのだから。

敬具


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漂流図書室と題したこのプロジェクトは、誰かの記憶を乗せた『本と手紙』のシャッフル交換を通じて、『物語との偶然の出会い』を育んでいきます。

全国から思い出の書籍と個人の物語を記した手紙を送ってもらい、スタッフが無作為に交換して再び送ります。
受け取った人は、まったく面識の無い他人の物語を知ることになります。

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