茶道に出会うまでの話:「道」を軽々しく思うな!

5月は「風炉」の時期。
先月までは置く位置が全然違う「炉」で、半年間、体がそれに馴染んでしまったところに、いきなり「風炉」に切り替えるのは、心細いばっかり!

しかも、3月から新しく許状をもらったことで、この頃ずっと行台子のようなかなり上のお手前。ふっと基礎の平点前に戻ると、なんとなく困惑が生じてしまう。何せ、茶道は体で覚えるものだから。

それだけでなく、この間2週間、論文のインタビューで休みもあった。徹夜が重なった脳味噌に何が思い出せるのだろうと、そんな感じでいろいろ考えてながら、おそれおそれと、襖の前に、扇子を置き、お茶の世界にねじり込んだわけ。

私の茶道修行は2021年の5月から。
本当は4月からのはずだが、2021年の5月ならまだコロナの二年目。ロックダウンなど繰り返されながらも、なんやかんやで、こうしたお稽古が最終的にできたことについて、至極幸いに思う。

けれど予定の半年の20回分、結局数回が減らされ、本格的に始まったのが5月に入ってから。
つまり、2024年の5月の時点で、私の茶道人生がちょうど3年が経った。

石の上にも三年。

3年も経ったから、十分時間の重みはあったはず。特に、目まぐるしく変化する中国社会の親族と友人から見れば、3年も何かを続けているのは「すごい」とばっかり言われる。
ただ褒めている文脈ではなさそう。彼たちの目には、旧時代に生きている人間のように、のろく、しぶくて何かをやってるように映られているのだろう。
まあ、恋愛・結婚一つも10年かかってしまうようなドジの人だから。中国の文脈ではその通りの生き方だ。

ただ視点を日本に変えると全く様相が違ってくる。ことごとく、茶道の世界においては、10年やってもまだベービーだとよく耳に入る。
だから「三年なぞや、全然大したことのない時間の尺じゃ!」
かつ、私は中国出身、それが今のようにオープンした場で、高貴な「茶道」について何かを語ることに、「冒涜」を感じてしまう人もいるのでは?

少なくとも、私が茶道を始める前の数ヶ月は、元旦那一家との引き合いでだいぶ苦労した。なぜそこまで反対される理由があるかが、いまだに分からない。話し合いの中、もうわけもわからなく、頭の中で❓いっぱいな絶望感すら感じた。

まあ、一言で向こうの言い分をまとめると:「道」なぞ、軽々しく思うな!!!

ほっ!恐縮ながら、学ばせていただきます!

反対されても、自分の中で決めたことだから、結果に変りなし。ただ、なんで素直に向こうに打ち明けようとしたのか、後になってかなり後悔した。しかし、日本文化に触れる努力をしている外国人嫁に、普通はほめるのでは!?
最初は純粋にそう思い、隠す理由が逆に見出せない。
まさかの論争沙汰とは!

まあ、茶道に戻ります。

茶道を始めようとする理由は、まず着物から語らないといけない。

2019年の七夕の日、ホテルニューオータニで、日中の伝統服装ショーがあった(NHKにも報道されてた)。当時運営していた一般社団法人がその会のスポンサーとして、また私個人もモデルとして出演した。

ここの数年、中国では日本と韓国を見習って、伝統服を復興しようとするムーブメントが盛んに行なって、「漢服(ハンフ)」、つまり漢民族の衣装という概念を打ち出した。日本人が馴染みのあるチャイナドレスは、あくまでも満州族の衣装をモデルにしているものだから、現代の中国の若者にとっては物足りなかった。漢民族のアンデンティティ、またはイデオロギーの台頭が垣間見れるのだろう。

しかし、中国代表としての私はまさかその会場で、日本人の花嫁衣装である白無垢に酔心してしまった。まあ、6年も付き合っていた彼氏に強い結婚願望をかけていたからだろう。

相手の家の色に染まる…なんという美しい言葉!
シルクの綿帽子一つで、なんという丁重な扱い!

中国側の床直で転んでいる廉価な漢服を見て(当日トラブルがあって、衣装さんとメイクさんが足りなく、モデルに全部任せられていて、大変パニックってた)、シルクや染織は確かに漢民族の知恵から来たものだが、今日までも日本で強く根付いて、大事にされていることに、私は思わず涙が滲んでしまった。

茶道もまた着物とほぼ日本で同じ道を辿った。抹茶という飲み方は宋の時代で宮廷から僧侶、または一般の知識人から町人の中で盛んだ。高度に洗練された茶文化が当時の留学僧を通して、数十年後日本に入る。しかし、中国の抹茶法はほぼ宋一代で終わり、日本は千利休などの茶人の手によって、中国の茶文化の基礎の上に、独自の「茶道」を生み出した…

だから、私の中では、日本のことをずっと中華文化の琥珀に思い、結婚をきっかけで、この国に骨を埋めようとも考えていた。最終的に、どこに骨を埋められるのかが分からないが、そんな感じで、2019年の秋から、私はどぶりと着物の世界にハマった。

約一年かけて、着物が普通に着付けられるようになったところに、周りの着物仲間に「茶道」が頻繁に勧められた。最初は着物だけで精一杯で、また正座も全くできないから、あまり本格的に考えなかったが、友人の口からこんな一言で、私は強く心が打たれ、真剣に教室を探すようになった。

「日本文化の集大成が茶道だ!」

ちょうど2020年のお正月を機に入籍も済み、私も本格的な日本人の嫁になった。

結婚した以上、旦那に恥をかかないように、日本人以上に勉強しなければいけない!

それが「日本文化(特に礼儀作法)の集大成が茶道だ!」という言葉と奏が奏でて、私が茶道の世界に入ろうとする一番の動機になった。

なぜなら、結婚してから、箸やフォークの使いなどのテーブルマナーで、旦那に注意されたり(PS:決して悪くはない、が、日本の綺麗というレベルに達していないようだ)、また着物を着ている時も、足捌きで「君ら中国人は大股で歩くね」とよく揶揄われたりすることがあった。

正直、離婚で茶道を習うこの最初の動機はすでに意味を失った。
だから、もういつでもやめていい。
しかし、中華文化の琥珀というワンポイントだけでも、生涯続けられる自分なりの「道」にしようとした。

私はいまだに、元旦那一家のおっしゃる「道」が分からない。少なくとも、彼たちが何かしらの「道」を続いているか、または生活の中で実践しているかは、自分の見識の中では見出せなかった。もちろん、今さら彼たちの「道」を探求する気もない。ただ、一人一人の「道」があることは確か。なら、自分だけの「道」を追求すればいいじゃないかと思った。

私はかなり世俗な人間。しかし、この半生を通して、唯一語れるのが「学び」が自分の生き方の軸になっている。だから、私は単に、日本の「茶道」を習うのが好きだ。今まで聞いたことのない何かを「知った」時に興奮を覚えてしまう。それは着物にも同じ。また、お茶を点てる時に、身体に注意を払う時のある種の「無我夢中」に、善的な静寂が感じるのも好き。

もちろん、好まないものもある。例えば、封建的な上下関係、大茶会に参加する女性たちの我が先と見栄っ張り、またあまりにも高値がついてしまう道具などなど…ただ、好まないけれど、嫌いではない。そうしたものは、伝統!守る人が必要!

よく人々は伝統芸に高尚的なものを求めてしまうが、どんな芸も所詮、主体が人間。維持するには財力も必要。それが自然にドロドロな何かしらが生じてしまう。水が綺麗すぎると魚が生きていけないと同じ。だから、一線を引いて、水面の上から眺めることだけにしようと思った。

離婚して、日本を離れるのもタイムリミットがかけられているが、博士号を取るまでに、自分が今までお茶を習う過程で学んできたことや、また感じてきたことについて週一回(お稽古が週一だから)の日記式に綴ろうとした。まあ、文学博士は長期戦だから、まだ数年はかかるのだろう。

私は茶道関係の映画「日々是好日」が大好きで、何回も繰り返して観てた。その映画が森下典子さんの自伝エッセイによるもので、裏千家の淡交会から、森下さんのようないろんな日本人からのエッセイも出版されている。しかし、中国人の視点からのものはどうかな?

それを思いつつ、パソコンを開いて文字を打ってきた。ではまた来週。

2024年5月22日、慶應義塾大学(三田)にて



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