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湿岩性甲虫探し―ニッポンセスジダルマガムシ―

はじめに

ニッポンセスジダルマガムシOchthebius nipponicusという水生甲虫がいる。トップ画像に示したようにカッコイイ形態をしているが、体長が1.5 mmほどしかない微小種である。前回紹介したクロサワツブミズムシとコマルシジミガムシと同様に、湧水が薄く広がって流下する崖の壁面に生息する湿岩性の甲虫である。

前2種と違って、ニッポンセスジダルマガムシは主に海岸沿いの崖に生息するという違いがある。また、生息する微環境にも違いがあり、前2種と比べて見つけるのが格段に難しい。私は本種に興味を持ち、神奈川県沿岸の複数地点で生息を確認できた。2023年2月現在、9都県で確認されているようだが、本気で探せば新地開拓は相当可能と思われるので、参考までに神奈川県での探索記を紹介する。

江の島での邂逅

私は水生甲虫の中でも特にダルマガムシ科に特に関心があり(単に形態がカッコイイから)、神奈川県の新記録はすべて自分が出すと心に決めている。2020年当時、ニッポンセスジダルマガムシは神奈川県で未記録だったのだが、近隣の静岡の伊豆半島と千葉の沿岸、また、三宅島で記録があったので、ちゃんと探せば確実に見つかるだろうと考えていた。神奈川の沿岸で崖がある所と言ったら、真鶴半島、江の島、三浦半島の3箇所が思いつくが、手っ取り早く簡単にアクセスできる江の島で探索することにした。

さて、夏の江の島である。南岸には下写真のように海食台が広がっており、潮だまりで磯遊びに興じる家族連れで賑わっている。この海食台は、1923年の関東大震災のときに数メートル隆起して、海中から現れたとか。

図1. 江の島の景色

余談ながら、この磯にはイソジョウカイモドキが生息している(下写真)。干潮時に岩の上を舐めるように見て回るとたまに見つかる。初めて見たときは、本種の存在自体知らなかったので、こんな環境にこんな甲虫がいるのかと驚いた。

図2. 江の島のイソジョウカイモドキ♀

さて、着目すべきは崖の湧水である。図1の写真を見れば分かる通り、壁面が濡れている所がたくさんある。江の島は小さい島ながら湧水が意外と豊富なのだ。早速濡れた壁面を見ていくと、何といきなりクロサワツブミズムシの多産地を見つけてしまった。個体数が尋常じゃないくらい多かった。

図3. クロサワツブミズムシが多産する壁面
図4. クロサワツブミズムシの成虫と幼虫

が、この壁面では、他に普通種のコモンシジミガムシが下の方にいるだけで、ニッポンセスジダルマガムシは見つからなかった。

とりあえず環境が違いそうな湿岩を狙うことにして、次に下写真のようなやや日陰の湿岩を調べたところ、ニッポンセスジダルマガムシが見つかった。

図5. ニッポンセスジダルマガムシが生息する湿岩(中央右の部分)
スケールが分かりにくいが(左下に人が写っている)、海食台から数メートル登った所である。
図6. 上記湿岩にいたニッポンセスジダルマガムシ

この壁面は一見何もいないように見えたが、倍率1.8倍の拡大鏡を装着し、ヘッドライトで壁面を照らし、虫除けスプレーを散布してモゾモゾと動く物体を探す方法を15分ほど続けることで、ようやく見つけることができた。壁面のほんの一部しか調べていないが、個体数はけっこう多かった。クロサワツブミズムシやコマルシジミガムシの場合、隆起した形態で背中に光沢もあるので、壁面にいれば一目で分かるが、ニッポンセスジの場合、形態が細長く、体厚も薄い上に光沢もないので、目の前にいても、これがなかなか見えてこないのである。

後日、再度江の島を訪れて、アクセス可能な崖の湧水は全て見て回ったが、クロサワツブは他の場所でも若干見られたものの、ニッポンセスジが単純な湿岩で見つかったのは上記の場所のみであった。かなり幸運にも恵まれていたようである。見る順番が違ったら、ここにはいないと結論していたかもしれない。

生息地の微環境

無機的な垂直の湿岩

その後、三浦半島の海岸でも2地点で本種を見つけることができた。生息地の崖は、下写真のように一見ただ濡れているだけのような場所である。

図7. 三浦半島での生息地①
矢印で示した辺りにいた。
図8. 三浦半島での生息地②
矢印で示した辺りにいた。
図9. 図8の生息地にいた個体

神奈川の海岸の調査で分かったことの一つは、ニッポンセスジはこのような日陰の無機的な湿岩を好むらしいということである。すぐ近くに日当たりが良くて藻類が着生しているような壁面があっても、そちらでは1匹も見つからないのだ。無機的な壁面では探索場所を絞りにくく、かといって、ひたすら虫除けスプレーを散布してもヒット率が非常に低く、他に目ぼしい昆虫がいるわけでもないので楽しむ要素がなく、足場が悪い場所で本種を探すのは実に苦行である。

日陰の湧水流

また、江の島では、ちょっと特異な環境で本種が多産しているの見出した。江の島は、島の中央がくびれて谷になっている(下写真)。谷には湧水流があり、表面は鬱蒼とした草に覆われている。

図10. 江の島の谷
草の下に湧水流がある。

別にニッポンセスジが目的だったわけではなかったのだが、最初の発見からしばらくしてから、会社帰りの夜に江の島を訪れて、谷の中腹(上図の矢印の地点)まで登って調べたところ、湧水流近傍の岩の表面に本種がたくさんいたのである。

図11. 江の島の谷の湧水流にいた個体

ニッポンセスジは、別に垂直な壁面でなくてもよいのだ。海岸沿いの日陰の湧水流にいる、と捉え直すと、探索すべき場所も広がるのではないだろうか。

余談だが、上記斜面は秋の夜に訪れたのだが、一応干潮の時間帯だったにもかかわらず、図1の海食台が完全に波に洗われていて、ヘッドライトの明かりを頼りにそこを通り抜けるのはけっこう恐怖だった。夜にあんな足場の悪い所に行くものではない。

まだまだありそうな生息地

以上が神奈川での探索記だが、本種は上述の通り採集が難しいだけで、国内の海岸で生息地はまだ相当たくさんあると予想している。地理院のサイトで日本列島の地形図を眺めると、海岸線が入り組んでいる所では、海岸線に沿って崖が続いていることが多い。三重県南部とか(下図)、まだ記録のない日本海側の若狭湾の辺りとか、どうだろうか?各地の水昆屋の方は、ぜひ最寄りの海食崖を調査されたい。

図12. 志摩半島南部の海食崖の例
ここにいないはずがない。

また、本種は何と内陸の埼玉県でも記録がある(下記文献参照)。

新井浩二 (2011). ニッポンセスジダルマガムシを関東内陸部で発見. さやばねニューシリーズ, (4): 35-36.

採集地は、秩父盆地を流れる荒川に沿った崖である。崖に面しているのが、海ではなく川に置き換わったような環境である。著者の新井氏がおもしろい考察をしている。内陸で本種が見つかったのは、古い時代に秩父が海岸沿いであったときの生き残りなのではないか?と。これが当たっていれば慧眼であろう。確かに、「縄文海進」で画像検索すれば分かるが、数千年前の縄文時代では海面が今よりも高く、現在の荒川の中流域まで海が進出していたようである。この仮説が正しいとするなら、同じように、「縄文時代に海だった場所にある、川に沿った崖」に絞って調査すれば、内陸で新産地が見つかるのではないだろうか。神奈川は意外にも縄文海進の影響は小さかったようで、条件に該当する場所がない。同じ関東で、千葉の養老川とか、茨城の久慈川那珂川ではどうだろうか?いずれも川沿いに崖が続いている場所がたくさんある。近くにお住まいの水昆屋の方は、ぜひ調査されたい(上述の通り、本種の探索の苦行を考えると、自分がわざわざ遠出して調査する気にはなれないので。。)。

おわりに

以上、ニッポンセスジダルマガムシの採集に関してヒントになりそうな事項を書いてみた。湿岩環境に生息する昆虫というのは、まだ相当開拓余地があると思われるので、本稿がきっかけとなって、関心を持って下さった方がいたら幸いである。もし本稿を読んで、上記河川で本種を見つけた方がいましたら、ご一報いただけると嬉しいです。

※ニッポンセスジダルマガムシの神奈川県での採集状況の詳細については、以下を参照されたい:
齋藤孝明, 2020. 江の島でクロサワツブミズムシとニッポンセスジダルマガムシを採集. 神奈川虫報, (202): 82-83.
齋藤孝明, 2020. 神奈川県相模湾沿岸における水生甲虫の追加記録. 神奈川虫報, (203): 16-19.


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