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スピン測定に関わるパラドックス的問題―シュテルン=ゲルラッハ実験 考—


はじめに

 物理学で博士号を取った私だが、量子力学というのは、つくづく、学ぶための敷居が高いと思う。古典力学と比較して物理的な概念や考え方がガラリと変わるため、慣れるまでに時間を要するのだ。自慢ではないが、私の場合、授業で習ったことがいろいろ腑に落ちたのは、大学院の博士課程に入った頃だった(バリバリの理論系志望でない限り、こんなものじゃないだろうか?)。物理学科の学部時代、3年次から始まった本格的な量子力学の授業(江口徹先生担当)では、初回の講義からいきなり、「任意の物理状態はヒルベルト空間のベクトルで表される」と、重ね合わせの原理から話が始まって面食らった覚えがある。その後しばらく複素数成分のベクトルや行列の代数的な話が延々と続き、とにかく困惑させられた。あの慣れ親しんだ古典力学の世界はどこへ行ったのかと。

古典力学の場合、目に見える力学的現象と、それを記述する物理モデルの関係が直観的に分かりやすいので問題ないのだが、量子力学の場合、そもそも扱う対象がミクロで目に見えないし、それを記述するために、なぜヒルベルト空間だのエルミート行列の固有値だのが出てくるのか、そうなる必然性がなかなか見えてこないのだ。20世紀初頭に量子論の構築に携わった物理学者たちは、まさしくそれを当時の物理学の最先端の研究として暗中模索でやっていたわけで、その産みの苦しみは相当なものだっただろうと想像する。

そんな量子論構築の渦中の1922年に行われたのが、シュテルン=ゲルラッハの実験である。この実験は、原子レベルのミクロな世界で角運動量が量子化されていることを明解に示したものとしてよく知られている。実験自体が単純で分かりやすいため、粒子の量子的な振る舞いに関する思考実験の題材として、量子力学の著名な教科書でもよく取り上げられている。本稿では、この実験を題材にちょっとした思考実験を取り上げる。最近自分で思いついて考えたネタだが、量子力学初学者の理解度チェックに使えそうな、なかなか教育的な問題だと思う。興味のある方は、ぜひご考察を。

シュテルン=ゲルラッハの実験


実験の概要は検索すればいくらでも出てくるが、簡単におさらいする(下図)。

図1 シュテルン=ゲルラッハの実験

炉から飛び出す銀原子を磁場中に入射させる。磁場は均一な場ではなく、強度が$${z}$$方向に勾配を持つように工夫されている。磁場を通過した銀原子はスクリーンに当たり、2つに分裂した軌跡を作る、というものである。

銀原子は電気的に中性であるが、最外殻の5s軌道に存在する1個の電子に起因して、磁気モーメントを持つ。磁気モーメント$${\vec \mu}$$が勾配のある磁場中に置かれると、$${\vec F = \vec\mu\cdot d\vec B/dz}$$の力を受ける。古典論で考えると、入射する銀原子の磁気モーメントの方向はランダムなので、ビームは$${z = 0}$$を中心として上下に広がるだけであり、2つに分裂する理由を説明できない。

一方、量子論では、粒子の磁気モーメント$${\vec\mu}$$は粒子の固有角運動量であるスピン$${\vec S}$$に比例する($${\vec\mu\propto\vec S}$$)。電子の場合、$${\vec\mu\simeq -e\vec S / m_{\text e}c}$$ である。磁場勾配中を通過させることは、銀原子(の最外殻電子)のスピンの$${z}$$成分を測定することに他ならない。今の場合、銀原子のスピンは1/2であるから、$${S_z}$$の2つの固有値$${\pm \hbar/2}$$に対応して、銀原子の軌道は$${\pm z}$$の2方向に分裂する、と解釈されるわけである。

問題

以上を踏まえて、以下のような思考実験を考えてみよう。図1の装置の磁場とその勾配を弱めていくと、銀原子の軌道の曲がり具合が弱くなっていき、スクリーンに生じる2つの軌跡の間隔が狭まっていく。磁場をどんどん弱くすると、2本に分裂した軌道が遂には重なってくるだろう(下図)。

図2. スクリーンにおける銀原子の到達位置と個数の模式図
磁場を弱くすると、2つに分かれていた軌道が重なってくる。

ここで問題。

上図に示したように、磁場を弱めて2つの軌道に重なりがある場合、重なっている部分の銀原子のスピンの状態はどのようになっているか説明せよ(定性的な説明で可)。

量子力学の初学者にありそうな回答は、「個々の銀原子のスピンは、$${+z}$$向きか$${-z}$$向きのいずれかに確定していて、単にその混合になるのでは?」というものであるが、これが間違いであることは、以下のように考えるとすぐに分かる。

例えば、入射粒子の磁気モーメントが$${y}$$方向(進行方向の左向き)に完全に偏極しているとしよう。この場合でも、勾配磁場を通過すると、粒子の軌道は$${\pm z}$$方向に等率に分裂する。軌道が完全に2つに分かれている場合、それらのスピンは$${\pm z}$$方向のいずれかに確定しているため、初めの$${y}$$方向の偏極は完全に崩れている。さて、磁場を弱めて、分裂した軌道が重なってくるとどうなるか?もしこのとき、例え重なった部分にある銀原子のスピンも$${\pm z}$$方向のいずれかに確定しているとすると、磁場をさらに弱めてゼロに近づけても、その結果は変わらないはずである。ところが、磁場が完全にゼロの場合、当然ながら、入射粒子の$${y}$$方向の偏極状態は全く変わらないはずだから、矛盾してしまう。

この間違いは、そもそもスピンの観測がどの時点で行われていることになるのか?の考え方に起因している。よくある勘違いは、粒子が勾配磁場を通過している間に、粒子のスピンが$${\pm z}$$方向のいずれかに確定するというもので、こう考えると必然的に上記の誤答につながってしまう。シュテルン=ゲルラッハの実験においてスピンの観測がされるのは、あくまでもスクリーンに到達した銀原子の位置を見たときである。なので、その直前まで粒子のスピンの状態は確定しておらず、その状態は、量子論の運動方程式(シュレディンガー方程式など)に従って坦々と時間発展している、と考えるべきだろう。そのように考えて粒子の状態の時間変化を追えば、スクリーン位置におけるスピンの$${z}$$方向の偏極度を$${z}$$座標と勾配磁場の強さの関数で表せるはずである。以下で、その計算を具体的に考えてみよう。

磁場がゼロの場合

ここからステップを踏んで、観測前の粒子の波動関数の時間発展を考える。以下で、$${z}$$方向の運動のみを考えれば十分である。まず単純な場合として、磁場がまったくない場合の時間発展を考えよう。今の問題の場合、個々の銀原子の運動を考えるので、銀原子の波動関数を平面波で表すのは無意味である。そこで、粒子を空間的に広がりのある波束で表し、波束の運動の時間発展を求めてみる。

粒子の波動関数は、初期状態で$${z = 0}$$を中心して$${\sigma_0}$$の広がりを持つガウシアン

$${\displaystyle \phi(t= 0, z) = \frac{1}{\sqrt{2\pi\sigma_0}}\exp\left(-\frac{z^2}{2\sigma_0^2}\right)}$$ 式1

と仮定する。$${\phi(t, z)}$$の時間発展を、シュレディンガー方程式

$${\displaystyle i\hbar\frac{\partial \phi}{\partial t}=-\frac{\hbar^2}{2m}\frac{\partial^2\phi}{\partial z^2}}$$ 式2

を用いて求めよう。この問題は、$${\phi(t, z)}$$をフーリエ変換する解法で厳密に解けて、

$${\displaystyle \phi(t, z) = \frac{1}{\sqrt{2\pi}}\frac{e^{-i\theta /2}}{\sqrt{|\zeta|}}\exp\left(-\frac{1}{2}\frac{\zeta}{|\zeta|^2}z^2\right) }$$ 式3

となる。ここで、$${\theta}$$と$${\zeta}$$はそれぞれ、

$${\displaystyle \theta \equiv \arctan\frac{\hbar t}{2m\sigma_0^2}}$$ 式4

$${\displaystyle \zeta = \sigma_0^2-i\frac{\hbar t}{2m}}$$ 式5

で与えられる。式3の絶対値の2乗をとって確率密度に直すと、

$${\displaystyle \phi(t, z)\phi^*(t, z) = \frac{1}{2\pi\sigma_0\sigma(t)}\exp\left\{-\frac{z^2}{\sigma^2(t)} \right\}}$$ 式6

となる。ここで、$${\sigma(t)}$$は、

$${\displaystyle \sigma(t) \equiv \sqrt{\sigma_0^2+\left(\frac{\hbar t}{2m\sigma_0}\right )^2}}$$ 式7

で与えられる。式6を眺めると、粒子の波束がどのように時間変化するか、すぐに分かるだろう。式6は、粒子の確率密度関数がガウス波束の形態を保ったまま、時間とともにその空間分布が広がっていくことを示している(下図)。

図3. 磁場がない場合の粒子の波束の時間変化
波束の積分値は保存したまま広がっていく。

波束の広がりの時間依存性は式7で与えられる。時刻$${t}$$が大きいほど$${\sigma(t)}$$は大きくなり、また、粒子の質量が軽いほど、広がる速さは大きくなる。

余談ながら、この辺のガウス波束の広がり方は、拡散方程式で初期条件をデルタ関数に設定した場合と同様である。が、、シュレディンガー方程式の場合、初期条件にデルタ関数を設定すると、物理的な解にならないことに注意!

一定の力を受ける場合

次に、粒子が$${z}$$方向に一定の力を受ける場合の波束の時間発展を考える。磁気モーメントが勾配磁場から受ける力がこの場合に相当する。初期条件は式1と同じとする。この場合、$${K_0}$$, $${K}$$を適当な実定数として、粒子がポテンシャル

$${\displaystyle V(z) = -K_0-Kz}$$ 式8

を持つことになる。古典力学の場合、$${F = -dV/dz}$$であるので、$${K}$$が正ならば$${+z}$$方向に、負ならば逆方向に動く。量子力学の波束の場合でも、基本的に同じように動くはずである。この場合、シュレディンガー方程式は、

$${\displaystyle i\hbar\frac{\partial \phi}{\partial t}=-\frac{\hbar^2}{2m}\frac{\partial^2\phi}{\partial z^2} -(K_0+ Kz)\phi}$$ 式9

である。これを解きたいところであるが、右辺第2項に$${z}$$が入っているため、フーリエ変換法のような簡単な解法が使えず、解くのが難しい(厳密解あるのか?)。が、量子力学には、エーレンフェストの定理という便利な定理がある。粒子の座標の期待値についてはニュートンの運動方程式と同じ形式の式が成り立つというもので、今の場合、

$${\displaystyle m\frac{d^2}{dt^2}\langle z\rangle = K}$$ 式10

が成り立つことになる。これの解は、当然、

$${\displaystyle \langle z\rangle = \frac{K}{2m}t^2}$$ 式11

である。この結果と、上述の磁場ゼロの場合の結果を総合すると、波束は、下図のように時間発展すると考えて問題ないだろう。波束は広がりつつ、中心が$${z}$$方向にシフトしていく。

図4. z方向に力を受ける場合の波束の時間変化

シュテルン=ゲルラッハ実験の場合

2成分スピノルによる表現

さて、問題も核心に迫ってきた。次に、粒子がスピン1/2で磁気モーメントを持っている場合を考える。この場合、粒子の波動関数は、スピンの状態$${|+\rangle}$$, $${|-\rangle}$$に対応した2成分スピノル

$${\displaystyle \Psi(t, z) \equiv \begin{bmatrix}\phi_+(t, z) \\ \phi_-(t, z)\end{bmatrix}}$$ 式12

で考える必要がある。このスピノルを用いてシュレディンガー方程式をいきなり書くと、次式になる。

$${\displaystyle i\hbar\frac{\partial \Psi}{\partial t}=-\frac{\hbar^2}{2m}\frac{\partial^2\Psi}{\partial z^2} - \tilde\mu (B_0+B'z)\frac{\hbar}{2}\sigma_z\Psi}$$ 式13

ここで、$${\tilde\mu}$$は、粒子の磁気モーメントを$${\vec \mu=\tilde\mu \vec S}$$と表したときの比例係数、$${B_0}$$は$${z=0}$$における磁場(定数)、 $${B'}$$は$${z}$$方向の磁場勾配(定数とする)、$${\sigma_z}$$はパウリ行列の$${z}$$成分である。式13を成分ごとに書き下すと、

$${\displaystyle i\hbar\frac{\partial \phi_\pm}{\partial t}=-\frac{\hbar^2}{2m}\frac{\partial^2\phi_\pm}{\partial z^2} \mp \tilde\mu (B_0+B'z)\frac{\hbar}{2}\phi_\pm}$$ 式14

である(複号同順)。$${\sigma_z}$$が対角行列のため、$${\phi_+}$$と$${\phi_-}$$が混ざることはなく、いずれに対しても式9と同じ形式の方程式となっている。$${\tilde\mu < 0}$$, $${B'>0}$$としよう。$${\phi_+}$$と$${\phi_-}$$に共通のガウシアン波束で初期値を与えれば、$${\phi_+}$$は波束として$${-z}$$方向に、$${\phi_-}$$は$${+z}$$方向に移動していくことになる。スピノルの2つの成分が、それぞれ空間的に異なる方向に動いていく(下図)。

図5. スピノル2成分の時間発展

スピン歳差も考慮すると?

以上がシュテルン=ゲルラッハ実験の基本なのだが、この実験はスピンが絡むので、もうちょっと注意深く見てみよう。式14において、右辺第1項の運動エネルギー項を落として、磁場も$${B_0}$$で一様とすると、

$${\displaystyle i\hbar\frac{\partial \phi_\pm}{\partial t}= \mp \tilde\mu B_0\frac{\hbar}{2}\phi_\pm}$$ 式15

となる。初期値を$${\phi_\pm \equiv C_\pm}$$(複素数の定数)とすれば、解は直ちに、

$${\displaystyle \phi_\pm(t) = C_\pm\exp\left(\pm\frac{i}{2}\tilde\mu B_0 t\right)}$$ 式16

となる。これは、よく知られたスピンの歳差運動を表す。これにより、入射した粒子の磁気モーメントは、磁場を通過中にz方向の軸の周りを回転することになる。式16では一様磁場としたため、歳差運動の回転速度は一定だが、勾配磁場を通過する場合は、磁場が強いほど回転速度が上がるので、挙動はやや複雑になる。

また、式16の重要な点として、スピノルの各成分の絶対値は、時間発展しても変わらないことである。初期値が$${|C_+| = |C_-|}$$であれば、スピンは$${xy}$$平面内を向いており($${C_+}$$, $${C_-}$$の位相差で方向が決まる)、$${z}$$方向の勾配磁場を通過した後では、スピンの方向は入射時と異なるかもしれないが、$${|C_+| = |C_-|}$$の関係は維持される。

以上を踏まえて、式14の解は、勾配磁場による、スピノル各成分の波束の互いに逆方向への移動と、スピンの歳差運動の2つの運動が合成されたような振る舞いをする、と考えられる(残念ながら厳密に書き下せないのだが)。例えば、$${t=0}$$のスピノル各成分を、

$${\displaystyle \phi_\pm(0, z) \equiv \frac{C_\pm}{\sqrt{2\pi\sigma_0}}\exp\left(-\frac{z^2}{2\sigma_0^2}\right)}$$ 式17

とすると、波束の空間的な広がりは$${\phi_+}$$と$${\phi_-}$$で共通で、スピンの向きを表す係数$${C_\pm}$$のみ異なる。この係数$${C_\pm}$$の絶対値の大小によって、勾配磁場通過後のスピノル各成分の確率密度が、下図のように変わるわけである。

図6. 係数C+-の大小と、スピノル各成分の確率密度の関係

観測される$${z}$$方向のスピンの偏極度は、

$${\displaystyle P(t, z) \equiv \frac{\Psi^\dagger \sigma_z \Psi}{\Psi^\dagger\Psi} = \frac{|\phi_+|^2 - |\phi_-|^2}{|\phi_+|^2 + |\phi_-|^2}}$$ 式18

で求められる。磁場をゼロにしようが、入射粒子が偏極していようが、この式で統一的に表現される。

回答

では、元の問題に戻ろう。磁場を弱くすると、上図のように明瞭に分離している$${\phi_+}$$, $${\phi_-}$$が重なってくるが、この重なる位置に来る粒子のスピンの状態はどうなっているか?一言で言えば、一般には$${|+\rangle}$$と$${|-\rangle}$$の線形結合の状態となっている、が回答となる。その線形結合の係数を求めるには、入射粒子の状態を2成分スピノルで表して、その時間発展を求める必要があり、一般には難しい。まあとにかく、$${|+\rangle}$$と$${|-\rangle}$$の混合状態ではない、ということである。

スピン相関測定の場合

ついでながら、下記記事に書いたような、2つのスピン1/2粒子のスピン相関を測定する場合は、どのように考えればよいでしょう?

この場合は、粒子対の状態を、$${|++\rangle}$$, $${|+-\rangle}$$, $${|-+\rangle}$$, $${|--\rangle}$$の4つの状態で展開した4成分スピノル

$${\displaystyle \Psi(t, z_1, z_2) \equiv \begin{bmatrix}\phi_{1+}(t, z_1)\phi_{2+}(t, z_2) \\ \phi_{1+}(t, z_1)\phi_{2-}(t, z_2) \\ \phi_{1-}(t, z_1)\phi_{2+}(t, z_2) \\ \phi_{1-}(t, z_1)\phi_{2-}(t, z_2) \end{bmatrix}}$$ 式20

で表して考えればよい。例えば、初期状態でスピン1重項状態$${|^1S_0\rangle}$$に組んでいる場合、初期状態は、共通な波束$${\phi_1(0, z_1)\phi_2(0, z_2)}$$を用いて、

$${\displaystyle \Psi(0, z) \equiv \begin{bmatrix}0 \\ 1 \\ -1 \\ 0 \end{bmatrix} \phi_1(0, z_1)\phi_2(0, z_2)}$$ 式21

と表される。この4成分スピノルに対してハミルトニアンを具体的に書き下して、シュレディンガー方程式を解けばよい(ハミルトニアンがどうなるかは、スピン観測の具体的な方法に依存する)。成分が増えるだけで、問題の考え方は1粒子の場合と同じである。

粒子1, 2のスピン(の符号)をそれぞれ方向$${\vec a}$$, $${\vec b}$$に関して測定する場合、スピン相関(2つのスピン符号の期待値)を表す演算子は、$${(\vec \sigma\cdot \vec a)(\vec \sigma\cdot \vec b)}$$であるが、これを4成分スピノルに対応するように書き下すと、$${\vec \sigma\cdot \vec a}$$と$${\vec \sigma\cdot \vec b}$$(いずれも2x2行列)の直積

$${\displaystyle \Sigma(\vec a, \vec b)\equiv \begin{bmatrix} (\vec \sigma\cdot\vec a)_{11}(\vec \sigma\cdot\vec b) & (\vec \sigma\cdot\vec a)_{12}(\vec \sigma\cdot\vec b) \\ (\vec \sigma\cdot\vec a)_{21}(\vec \sigma\cdot\vec b) & (\vec \sigma\cdot\vec a)_{22}(\vec \sigma\cdot\vec b)\end{bmatrix}}$$ 式22

となる(4x4行列)。$${|^1S_0\rangle = [0, 1, -1, 0]^t}$$に対して、

$${\displaystyle \langle^1S_0|\Sigma(\vec a, \vec b)|^1S_0\rangle = -\vec a\cdot \vec b}$$ 式23

となることが確かめられる。

粒子数が複数になると、波動関数の反対称化も考えなければならない。今の場合、式20の4成分スピノルは、厳密には、

$${\displaystyle \Psi(t, z_1, z_2) - \Psi(t, z_2, z_1)}$$ 式24

とすべきであるが、この場合、反対称項に出てくる$${\phi_{1+}(t, z_2)\phi_{2+}(t, z_1)}$$などの値は、2つの波束$${\phi_1}$$, $${\phi_2}$$に空間的な重なりがほとんどない場合にほぼゼロになるので、無視してよい。2粒子のスピン相関を測定する場合、普通、2粒子は十分離れた状態で測定するので、空間座標も含めた反対称化は考慮しなくてよいのである。

おわりに

以上、波束の運動としてとらえるシュテルン=ゲルラッハ実験の再考でした。改めてポイントは、

  • スピンの観測は、あくまでスクリーンにおける到達位置を見たときになされる(勾配磁場中を通る時ではない)。

  • スピンの観測されるまで、粒子の波動関数はシュレディンガー方程式に従って時間発展を続ける。一般に、スピノルの$${|+\rangle}$$と$${|-\rangle}$$の両成分に対応する波束が時間発展しており、観測位置における確率密度分布に従って粒子が観測される。

ということである。この考え方は、スピンの測定方法として、偏極分解能を持つ標的に入射して散乱の非対称性を利用する場合でも、2粒子のスピン相関を測定する場合でも、本質的に同じである。

学部レベルで学習する量子力学では、束縛された電子の軌道の波動関数を求めるなど、静的なポテンシャル問題が多く、シュレディンガー方程式に従う波束の時間発展は、あまり重要視されていないように見える。しかし、粒子の位置の時間発展を追う問題は古典力学の基本的な関心事であるし、それの量子力学版である波束の時間発展の問題は、古典力学との違いを理解する意味でも重要であろう。あまり取り上げられない理由として、厳密に解ける問題が少ないのもあると思うが、厳密解は得られずとも、物理的なイメージは持てるようにしたいところである(自戒を込める)。

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