小学1年、塾も始まる


ピアノは順調、塾の春期を体験する

ピアノは春休みに体験に行ったのだったろうか、出会った先生と我が子の愛称が非常によく、素晴らしい出会いに感謝する限り。楽しんで通って、楽しそうに練習している。

そんな中、我が子ながら可能性を感じていた私としては、春期講座を体験として連れていくのは当然の流れでした。ただ、このあたりから私と妻の考える我が子の教育方針に微妙な違いが出ていました。つまり、妻は塾に通うのはよいとして小学校1年生から、そんなに早くからやるべきものなのかどうか、ということ。
私、地方の10万人程度の町に住んでいてそこは県庁所在地から車で30~40分ほどの町に住んでいる(と以前のどこかの記事に書いた)のですが、私が勤めている塾があるのはその県庁所在地なもんで、とすると小学1年生から毎週毎週車でそこまで通わねばならない、ということになるのです。そりゃあ大変。そこまでする必要あんのか、できんのか、と思うのは当然。今思えば。
でも、私はどうしても娘の可能性を見てみたかったので何とか説得して「春期講座だけでも」ということでチャレンジすることにしました。それくらいの年齢の子供、よほどのことがなければ新しいものには興味を持つわけで、塾の先生なんて通ってもらうために丁寧に、親切に対応するのが当たり前ですから、絶対に「楽しい、やりたい!」と言ってくれるに決まっている・・・というずるい考えがあったのは内緒です。

ちなみに、私が勤めている塾ではありますが、私はそのころにはもう裏方に回っていたので私が娘を直接教える、なんていう暴挙?はしていませんよ。念のため。

我が子は塾に通う道を選択する

案の定、娘は塾での勉強を気に入ったようです。「楽しい、通いたい!!」と。ただ、その時点で通っていた地元の英会話スクールと曜日の都合がつかなかったもので、塾に通い始めるのは6月から、ということになりました。すまぬ、妻と我が子よ、決してだましたわけではないのだ。我が子の可能性を・・・(以下略)。

ただ、そこからはなかなかに(送迎が)大変でした。
我が子の授業があるのは毎週土曜。私は塾という仕事から土曜は出勤日です。だから朝は娘を連れて毎週出勤します。午前中が授業になるので、授業が終わるとお昼休みにご飯を食べずにそのまま車に乗って娘を拾って移動します。自宅まで往復すると昼休み中に帰ってくるのは難しいので、職場(県庁所在地)と我が家(往復3~40分)の中間にある町に待ち合わせ場所を決めて、そこまで妻に迎えに来てもらう形。途中まで送る、そこから職場に戻るとおよそ往復で4~50分でそのまま仕事に戻る(もちろん昼食は食べられない)。妻は自宅から15分ほどのところまで迎えに来て、我が子を受け取ったらそのまま帰る・・・そんな生活が3年続くことになります。田舎って不便や。

そして我が子の成績はいかに

県庁所在地とはいえ地方の都市ですから、小学校1年生から塾に通わせる(通う)人はそれほど多くありません。10名前後でしょうか。とはいえ、それくらいの年齢から塾に通わせる選択をする親御さんたちですから、その子どもたちは相応に育成が進んでいます。ですから、そのような中で我が子がどのような理解度を示すのか、果たしてついていけるのかどうかは自信がありませんでした。

7月、夏期講習に入る前の1学期まとめテストの結果が出ました。学年10人中5番か6番だったと思います。ど真ん中の順位。可能性は感じていましたし、最低限読み書きのようなものは家でできる範囲でやっていましたが、特に教材を買ったりしてやっていたわけではないので、先んじてそう言った訓練をちゃんとやっている子どもたちの中に入ってまずはついていくことができれば御の字、いずれその中で少しずつ実力をつけていってくれたらと思っていたわけです。ですから、そのど真ん中の順位でも全く問題は感じていませんでした。むしろまずまずついていくことができているようなのでほっとしたくらいでした。
私と妻の教育方針の違いに微妙な差はありましたが、「(勉強であっても他のことであっても)やりたいことを見つけて努力を積み重ねていってもらいたい」という部分に変わりはありませんでしたので、我が子が嫌がらない限りはこのまま塾での勉強を続けてもらって、嫌がるようになったら無理はさせないように。そうやって努力を積み重ねて、いずれ我が家がある町にある中でも進学校といわれるような公立の普通科高校に合格できるようになってくれたら素晴らしいことだ、というのが親が勝手に描いていた夢です。

地元の進学トップ高校は県内で5~6番手。上位3~4分の1くらいの順位にいれば地元の国立大学に合格できるチャンスが出てくる、というもの。前にも書きましたが、私も妻もそのレベルには全く届かない学力だったので、それは大げさでなく「夢」でした。可能性とはつまりそういうことだったとお考え下さい。我々では到底手が届かないようなレベルの学力を、我が子はもしかしたら身につけてくれるのではないだろうか、それは我々が住んでいる地域のトップ高校と地元の国立大学を指した表現でした。

そんな我が子の状況が一変するのは小学校3年生を迎える春休み、春期講習前のまとめテストの結果が出たときでした。(引っ張る感じで続く)


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