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結論だけを求める風潮に対する批判

思考自体が軽視されている?

経営コンサル時代に「クライアントから結論だけを求られる」→「分析の上、結論を伝える」→「結論を聞いてもクライアントが行動に移せない」ということが多くあった。「クライアントから結論だけを求られる」というのは、クライアントがそのように名言するのではなく、クライアントとともに思考する機会を提案しても、やんわり断られ、結果として外部のコンサルだけが思考する形になってしまうことを指している。

また、最近、実際に起きているかどうかは別として「Z世代のタイパ重視」という風潮があると聞く。このタイパについては、1つの解釈として「時間をかけずに結論を得る」と捉えることができると考える。例えば、どの掃除機を買うべきか検討するときに、どのような軸で比較するか等を思考せずに、インターネットで検索して誰かが薦めるものを購入するという行動が該当する。

これらの事象の背景には「時間をかけて思考すること自体への軽視」が隠れているように感じている。

自らが思考しないと組織として意思決定できない

なぜ「時間をかけて思考すること自体への軽視」を問題視しているかというと、自ら思考しないと意思決定できないからである。特に組織としての意思決定に関しては、究極的には、経営者自身が一定の時間をかけて思考しなければできないと考えている。先の掃除機の購入のような影響力が小さな意思決定ではインターネットで調べる程度で十分であるが、将来的に責任問題になりかねない意思決定ではそうはいかないであろう。

私自身が経営コンサルから経営者という立場になってからも、思考の過程を踏まずに意思決定ができないことを肌身で感じている。特に論理だけでは意思決定ができないことは目から鱗であった。意思決定をするには「自信があること」「腹落ちしていること」が必須であり、一定の時間を思考や議論に費やさずにこれらを得ることは不可能なのである。

周りを見回しても意思決定を仕事としている人たちは時間をかけている

改めて、これまで私の周りにいた意思決定をする人たちを思い出しても、確かに思考に時間をかけていた。ポジションを取る戦略コンサルは当然として思考や議論に時間をかけているし、DDで外部の専門家を活用しているPEファンドも激務と言われるほど自らで考えているのである。ここまでグダグダと書いてきたが、本の要約を読んだり、人に答えを聞いたりするだけでできるほど、意思決定は甘くないのである。


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