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温泉地のホテルにて

親の実家がN県で、子どもの頃は冬休みになると、山あいの温泉地にある祖父の家に連れて行ってもらい、近所にあるスキー場でそりをしてあそんだものだ。
祖父も亡くなり、田舎の家も従兄弟たちの世代となった現在は、実家のある町の温泉付きの旅館に宿泊して、墓参りをするようになった。
 今から15年ほど前、若者もスキーをしなくなって、急速に地方のスキー場の町が寂れていった頃に宿泊したホテルでの話を書こうと思う。


 その時に家族で宿泊したのは、大きな観光ホテルで、露天風呂併設の巨大な入浴場が昔から有名だ、とネットの観光案内に書いてあり、温泉が好きな両親への孝行も考えてその宿を選んだのだ。
 全国的にも有名なスキーリゾート兼温泉地であったはずだが、平成の中頃には、スキー客もまばらで、正月を挟んだ冬休みの時期でもその温泉町は閑散として、件のホテルに到着してみたら、ネットの写真で見るよりどこか薄汚れて冷え冷えとした趣きで、ああ、こりゃ失敗したかもなぁと思った。
 到着は午後3時ごろだったが、ロビーの高い天井から下げられたシャンデリアの電気は落とされて暗く、お土産物コーナーの照明だけが明るい、といった節約、倹約が見て取れて、本当に経営が厳しいのだろうな、と思わせた。部屋のカギを受け取り、エレベータに向かう途中の床のPタイルが割れたままだったり、階段の蛍光灯が明滅していたりと、部屋に案内される頃にはホテルに泊まるウキウキした気分も消え失せて、「失敗したなぁ・・」という気持ちは益々つのるばかりだった。しかし、部屋に入ると、それでもそれなりの旅館の和室で、清潔な感じではあった。
 やや残念な気分ではありながらも、このホテルが売りにしている大浴場に行ってみようと思い、部屋に置かれた案内図を確認して、家族と一緒に地下1階までエレベータで降り、そこから大浴場へ続く薄暗く長い専用回廊を歩いて行った。回廊の片側は美術館のようなガラスが嵌められた展示棚になっており、鎧兜、羽織、刀剣などの武具と、そしてこの地域の有名な武将の活躍が画かれた関ヶ原合戦の大きな屏風画が飾られていた。長さは6mほどもある合戦図の金屏風だった。その絵を通り過ぎて更に進むと、その奥に上り階段があり大浴場に到着する。不思議なのは浴場に近づいて行く時には、ああ混んでるなあ、となぜか思ったのだが、暖簾をくぐって脱衣所に入ると、先に入ってる人は誰もいなかったことだ。空いている分にはお風呂を誰にも気兼ねせずに好きに使えるので、あまり気にせずそのまま大浴場に入り、雪の中に造られた露天風呂に入った。温かい湯につかりながら雪景色を眺める気分は、とても良いものだった。30分ほどして日も隠れはじめ、気温も下がってきたので、浴場を出ることにした。浴衣に着替えて回廊に戻ると、その途中で同じホテルの浴衣を着た60代ほどのおじさんが熱心に屏風を眺めていた。こちらもつられて、そのおじさんから少し離れた場所に立ち止まり、屏風を眺めながら知っている戦国武将の名前を見つけて、ああここに描かれているなぁ、などと話をしていたら、そのおじさんが、「ほら、ここに〇○がいるんだよ、家紋の旗印でわかるだろ」と話しかけてきた。そちらに近づいて、その武将を確認してみて、「ああ、本当ですね、あの有名な兜をかぶってる」などと軽く言葉を交わして、その場所を後にした。そのままロビーに上がり、おみやげコーナーやゲーム機コーナーを冷やかして部屋に戻った。夕食は部屋に用意するとのことだったので、早めの夕食を用意してもらうことにして、そのまましばらくのんびりとしていた。 5時過ぎには、派手ではないが、海の幸と山の幸が両方とも味わえるこの土地の豊かさを感じる夕膳が運ばれて、ビール、日本酒も進んで満足する食事を堪能することができた。
この階は建物の中央に100畳ほどもある大きな宴会場があり、その手前に各客室が作られている。なので、部屋を出ると宴会場の喧騒が聞こえてくる。今晩もどこかの団体が忘年会なのだろう、大いに盛り上がっている様子がこちらまで聞こえてきていた。自分は疲れていたためか、食事の後そのまま横になり、そして目が覚めたのは0時も近い夜中だった。大浴場は24時間利用できるとのことだったので、本格的に寝る前に、もう一度行ってこようと思い、1人でタオルを持って部屋を出た。宴会場は襖が閉じられていたが、まだ中では宴会をやっているようだった。エレベータで地下まで降りたら、回廊の電気が消えて真っ暗だった。回廊の奥にある浴場の入り口の階段の辺りだけ電気がついているのが分かった。そこに至るためには30mほどもある長い暗い回廊を進まなくては行けなかった・・うわぁ、怖すぎる、こりゃ無理だ・・と思い、引き返そうとしたが、ふと壁にスイッチを見つけた。そのスイッチをパチンと上げたら、回廊の電気がパパパッと点いていった。ああ節電してるんだと納得して、奥の大浴場にそそっと進んでいった。屏風の前を通り、浴場への階段を上ると、中にたくさんの人がいる気配がした。こんな夜中でも大勢いるなあ・・あぁ、宴会の人たちか、と思って脱衣所に入るとそこには誰もいなかった・・しかし、奥のガラス戸の向こうにある浴場からはお湯をかけるようなパシャーンという音が聞こえている。脱衣所の棚には誰の服も置かれてはおらず、え?おかしい・・よね・・と気が付き、そのまま脱衣所を出て階段を駆け下りて、長い回廊を自然と早歩きになりながら戻った。途中、前方の屏風の前にヒトが立っているのが分かった、夕方見た同じおじさんが熱心に屏風を見ていたのだ。その瞬間、自分は走っていた。そのままそのおじさんの後ろを走り抜け、エレベータのスイッチを連打した。幸いすぐに扉が開いて、誰も乗ってこないようにすぐに「閉じる」ボタンをバシバシと押した・・扉が閉まって上に動き始めた時に、少し冷静さを取り戻した。自分の部屋の階に着いてドアが開いた時に、いまだ続いている宴会場の喧騒を聞いて少し安堵した。部屋に戻り、考えてみたら、浴場のガラス戸の向こうには本当にヒトが入浴していたのかもしれない・・忘年会だし・・そう思って、そのまま寝た。

翌朝、目が覚めたのは7時過ぎ、両親は早朝に大浴場に行ってきたと言っていた。昨日の出来事を話したところ、それは宴会客が入っていたんじゃないか?ということに落ち着いた。ずっとうるさかったし、その自分が見た、というおじさんも宴会客御一行のひとりなんだよ、と。
 
朝食は一階の大食堂で用意しています、というので、家族みんなで下に降りて行ったのだが、大食堂に用意されていた食膳は、自分の家族用と、昨夜は合わなかった年の離れたカップルの宿泊客、たった2組の宿泊客のものだけだった。
それを見て、さすがに気になったので、お茶を持ってきてくれた仲居さんに、
「あの・・昨晩は大勢の宴会客のみなさんがお泊まりになられたと思うんですけど、その方たちは別の部屋で朝食をされるんですか?」と尋ねたら
「お泊りはみなさんだけですよ、最近は忘年会も宴会コースだけで、そのままお帰りになられますから・・。」
ちょっとびっくりして「え?夜中まで騒がしかったんですけど??」と聞いたら
「えぇ?? 9時前にはもうみなさんお帰りになられましたよ。」と仲居さんは言った。
たまらずうちの家族も「夜中まで宴会場で声がしてましたよ」と畳みかけたのだが、宴会客は宿泊はしていない、と言ったままだった。
それを聞いてもう大浴場に行く気にもなれず、食事の後はそのまま荷造りをして急いでチェックアウトした。

・・○○温泉にあるそのホテルは今も営業しています。


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