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デザインの課題

今から20年ほど前、ダメ元で受けた美術大学のデザインコースに合格した私は、新卒から5年勤めた会社を辞め、エアコンのない安アパートを借りて、二度目の学生生活に入りました。今で言うところのリカレント教育でしょうか。

バブル崩壊後の、これも今で言うリストラが始まった頃で、当時は「これから世の中は大きく変わる」と根拠なく信じて疑いませんでしたが、昭和のレールに乗ったまま、平成の30年は過ぎました。令和に入り、ようやく変化の兆しを感じていますが、果たして。社会の変化には、長い時間が必要です。私が生まれた1970年代には、すでに経済的な成長は止まったとも言われ、それからおよそ半世紀。それでも、この「社会変革」を実感できるのは、早くて2030年頃でしょうか。

デザインとの出会い

科学万能の風に吹かれて、得意ではない理系学部に進んでエンジニアになったものの、子供の頃は図工が好きで、大人になってからは自室で創作をしたり、美術館に足を運んだりしていました。そんなある日、書店で手にした「デザインの現場」(次掲。現在は休刊)によって、デザインに触れ、その数ヶ月後には、冒頭の通りです。

個人的な実感として、当時は社会のデザインの認識が、服飾からグラフィックやプロダクトなどにも広がり始めた時期(建築は別枠)で、プロダクトを専攻していた私は、バックミンスター・フラーの「より少ないもので、より多くのことをなす」や、深澤直人さんの「行為によりそうデザイン」といった考え方に随分と憧れました。(その後に独立されて間もない深澤さんの事務所を受けるも採用されず。雨の日のご本人との盛り上がらなかった面接は、今でも甘塩っぱい思い出です)

今では主要な音楽メディアではなくなったコンパクトディスク(CD)ですが、無印良品では今でも、当時に深澤さんがデザインされた「換気扇」を模したCDプレイヤーを販売しています。感慨深い反面、良くも悪くも殿堂入り感もあり、この辺りは、時代を映すデザインの宿命なのかもしれません。

デザイン対象の変遷

月日は流れ。

その後、一度もデザイナーを名乗ることなく今日に至りましたが、かつて憧れた数多のスターデザイナー達のお名前を聞く機会は減りました。デザインの市場がそれだけ縮小したのか、インハウスに移ったのか。マスメディアや私の関心が移ったということもあるでしょう。加えて、デジタルツールの進歩によって制作が容易になり、かつてほどの職能を求められなくなったこともその一因でしょうか。

また、お金の集まる場所が、製造業から情報産業に移り、パソコン+インターネット時代のWebデザイン、スマホ時代に入ってからはUI/UX/CXデザイン、東日本大震災の頃からは、社会活動やしくみづくりといった具合に、デザインの対象が広がり、求められる職能も変化してきたのではないかと思います。

こうしたある意味、外的な要因の一方で、今年開催されるはずだった東京オリンピックのシンボルマークやメインスタジアムに関するトラブルなどは、デザインの役割やデザイナー、その業界団体、さらにそれを内包してきた経済活動などが、社会あるいは時代から少しずれているようにも感じさせる出来事でした。

「デザイン経営」と「デザイン思考」のわからなさ

2017年の研究会発足から、経済産業省と特許庁が「デザイン経営」というテーマで、AppleやDysonなどを引き合いに出しながら、産業振興を行っています。

ここでは「デザイン経営」を次のように紹介しています。

「デザイン経営」とは、デザインの力をブランドの構築やイノベーションの創出に活用する経営手法です。その本質は、人(ユーザー)を中心に考えることで、根本的な課題を発見し、これまでの発想にとらわれない、それでいて実現可能な解決策を、柔軟に反復・改善を繰り返しながら生み出すことです。
「デザイン経営」は、ブランドとイノベーションを通じて、企業の産業競争力の向上に寄与する。

うーん、ちょっとよくわからない。

同じページのデザインにぴんとこないビジネスパーソンのための“デザイン経営”ハンドブックで、IDEOのトム・ケリー氏は、「デザイン思考」について次のように述べています。

デザインシンキングはよく「課題解決のための手段」と言われますが、これは半分しか正しくありません。デザインシンキングにおいて大事なのは、むしろ「解決すべき課題をいかに探すか」にあります。
デザインシンキングのエッセンスを煎じ詰めると、おそらく「共感」「実験」「ストーリーテリング」の3つの要素に集約されるのではないかと思います。

うーん、ぴんとこない。このデザイン思考の伝道師ですら「ではないか」と言うくらいですから、仕方がない。

誤訳を恐れずに意訳を試みるなら、「ユーザーを中心に考え、探究する姿勢(デザイン思考)を企業に実装すると、ユーザーの潜在欲求を具現化(商品化)しやすくなり、産業競争力が向上する(オンリーワン企業になれる)」ということでしょうか。(全容は特許庁のWebサイトでご確認ください)

しかし、どうも腹落ちしない。この発想の根本には何か違和感があります。

デザインに期待しすぎ

1つ目。いよいよVUCAな時代に入って、課題解決(手段)ではなく、課題発見(目的)だ!と叫ばれている中で、「産業競争力」という観点からの「デザイン経営」は、時代を捉えているのか。近視眼的ではないのか。

ここでの「産業」とは「既成の産業」です。だから「競争」が成り立ちます。然るに「デザイン経営」とは、資本主義の中で企業が勝ち残るための術であり、前回の記事で述べた「手段」の話です。もちろん、短期的には必要です。しかし、長期的には「産業」自体、つまり「目的」が変革期を迎えている中で、上げるべきは「競争力」ではなく、「創生力」でしょうか。例えば、トヨタが裾野市で展開するスマートシティは、次の産業、次のビジネスと言うより、次の社会価値の模索に近いように感じます。公共私で考えれば、「私」ではなく、「共」の範疇。これが達成された社会で現在のような経済性を展開できるのか。

2つ目。言葉を選ばずに言うなれば、デザインやデザイナーの延命策として、それらの役割を不必要に拡張してはいないか。例えば、「アクティブラーニング」を役所から押し付けられて困惑する小中学校の先生達は、嫌でもそれを実践に移さざるを得ない一方で、少なくともこれまでの美大などのデザイン教育に携わる方々は、第一線で意匠を専門とされてきた方々が多いはずで、ある意味で自己否定をし、意匠を超えた思想や思考の教育ができる人は、限られるのではないかと思います。そしてそこに集う学生達もまた造形好きで、ロジック面よりも感覚面に鋭い感性を持ちます。

一方で昨今、テクノロジーとアートが融合し、さらにビジネスの領域も巻き込みながら、旧来のデザインの領域を上書きしつつもあります。チームラボの猪子寿之さん、Thaの中村勇吾さん、Takramの田川欣哉さんは、いずれも東京大学工学部のご出身です。東大は、昨年から全学を挙げて芸術への取り組みをはじめたようです。いずれは哲学も融合していくのでしょうか。こうした流れに対して、美大のデザインは、これからどういうスタンスをとっていくのか。

デザインは課題解決でいい

デザインは設計です。目的や課題が与えられた後に最大の能力を発揮するもので、やはり課題解決がその本領です。デザイナーを経営陣に迎え入れれば、うまくいくケースもあるでしょうが、必要条件ではないと思います。事業創造であれば、むしろマーケティングの範疇かもしれません。もちろん、垣根を設ける必要はありませんが、デザインを振りかざす必要もない。

これからの社会が進むべき道は、テクノロジーを最大限に活用した、Society5.0であり、ダイバーシティ社会の構築です。AIとRPAに置き換わる部分もあるでしょうが、焦らずとも、その様々な場面でデザインの力は必要になると思います。いまはこうした社会の実現に向けて、全ての職能や専門がその門戸を開き、横断的に様々な知見の交流と融合をしていく時期ではないでしょうか。

次の動画は、2017年の夏にグロービス経営大学院が開いたセミナーです。上に挙げた経産省・特許庁で「デザイン経営」の研究が始まったのも2017年の夏。同時期に同じ国で、ほぼ同じ射程の議論だと思いますが、その視点は違うようにも感じます。登壇者の安宅さんや落合さんは、今まさに時代の寵児。個人的には安宅さんの締めの言葉に希望を託したいと思います。(56分18秒くらいから)

「そんなに心配しなくていいですよ、みなさん、(中略)我々は生きていけます!」


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