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起業について、考え直してみました。

みなさん、こんにちは。

株式会社HYAKUSHO代表取締役/パブリック・ディレクターの湯川です。

今年ももうあとわずかとなったので、筆無精ではありますが、さすがに締めの記事は書いておかねば!と思い、重い腰と腕と指をあげたところです。

さて、2020年は多くの方にとって印象的な年になったのでないでしょうか。

もちろん、僕自身も印象的な年になり、多くのことを学び、経験し、糧になっていった年となりました。ただ、僕の場合は、「コロナ」というよりも「起業」というかたちで印象的な一年となりました。今回は、「起業」にフォーカスして、徒然なるままに書いていこうと思います。

「起業をする目的って何?」って何?

早速ですが、この問いって巷にたくさんたくさん溢れていると思います。文章を変えて「なぜ起業したの?」「起業した理由は?」と言われることも多いです。

僕の場合は、正直なことを言えば、「成り行きで」「致し方なく」「その選択肢しか思い浮かばず・・・」みたいな答えになります。

ただ、こういった答えってなんだか恥ずかしかった記憶を持っていますし、「こんなふうに言っていいのかなぁ」と疑問を持っていました。その理由として、多くの先輩起業家たち(メディアで取り上げられているような)の起業ストーリーがとても華やかなで「首尾一貫」しているように見えたからです。ある大きなビジョンがあって、それをするために「起業」を選び、自分で事業を組み立て、ハードシングスを乗り越え、至る今、という。

僕も起業したからには「そうあらねばならぬ!!」という勝手にプレッシャーに感じていました。なので、今僕が起業しているということは湯川史的必然であり、そこに至ることが宿命でもあり、すべてが導かれている、というロードオブザリングばりの謎のストーリーを語らねばいけない、そしてそうではないと「格好がつかない」と思っていました。

そういうことから、最初の方はそれはそれは綺麗なストーリーをつくって(事実は作っていないが格好悪い部分は抹消し全てを脚色し)、起業をした理由を語っていました。

でも、それをしているうちになんだか違和感のようなことを感じるようになりました。

よくよく考えればそうですよね。だって、心とは違うことを話しているのですから。

そこで、改めて考え直してみることにし、タイトルの疑問に辿り着きました。

起業は「手段」ではなく「目的」

僕は、このような結論に至っています。

そもそも、起業を手段として捉えて、何かそのさきに大きな目的があるべきだ、という思考自体に何か違和感を感じていることに気がつきました。

目的思考というのでしょうか。

すべての人間の諸活動(←表現が固いw)が何かの「目的」であるという思考のことです。

僕は、起業をしてみて、正直眠れなかったこともあるし、不安に押しつぶされそうになったこともありました。

でも、そういった経験は「何かのため」ではなく、それ自体に僕としては価値があると思えています。今後の事業をどう進めるのかを考えるあまり頭が冴えすぎて眠れない、資金が枯渇しそうになって不安になる、思いがけないところから援護射撃がきて、事業が軌道に乗り始め、泣くほど嬉しくなって嫁に延々と話し続けて迷惑かけるなど。

起業ってこういう「人間的な営み」「感情のやりとり」が非常に多くなると思っています。

これって、これだけで尊くないですか?

僕はこうした経験を1年目から2年目にかけて体験できたことで、もう「起業して良かった」と思えています。サラリーマンだったら味わうことはできなかったです。

もちろん、今何となく未来が見えてきて、過去を肯定できている自分がいることも確かです。

でも、そうじゃなかったとしても、過去の自分を現状や目的に照らして、肯定しないというのはあまりにも寂しくなります。

僕はこういう経験を「何かのため」と思いたくないと思っています。

もちろん、今後まだ続くであろう人生のなかで、この経験が活きるという場面が出てくるのかもしれません。でも、それは結果そうなっただけだと思うのです。

今ある自分を人間として肯定し続けることを深く深く大切に思いたいです。

目的思考は万能?

起業を例にとって、目的思考ってどうなん?というのを問いかけさせていただきました。

人間が何かの手段になってはならない、という反省から「人権」の概念がつくられたように、人間が持っている本来的な尊さにもっと目を向けるべきではないかと思うのです。

例えば、ミーティング1つとっても、目的思考が染み付いていると「このミーティングの目的は?」という話になります。

ビジネスの現場では効率よく意思決定するために、非常に有効に機能すると思います。

でも、このコロナ禍で多くの方が思ったと思います。

「会う」という行為それだけに、とても意味があったと。

何か目的がないと会うことができないなんて、少し寂しくありませんか?

僕は何か人間として大切なものが見過ごされていると思えています。

そういう意味でも、目的思考ってそこまで万能ではないのではないかと思っています。理由がないけど、会いたくなる、そういうことってありますよね。

起業の先にあるのはりんごじゃないぜ

さて、話を起業に戻そうと思います。

起業だけではなく、あらゆる場面で「その理由は?」「なぜ?」「目的は?」と問われる世の中になっています。

確かに、それをなんとなくそれっぽい理由にして、文章にし、リボンをつけて納品することはできます。

でも、世の中には説明できないけどなんだかやりたくなって、ということもあると思います。

その場合は、僕はその決定自体に意味があり尊さがあると思っています。

起業もそうです。

僕はその先にIPOして莫大な資産を手に入れられるからとか、思いのままに経営できるからとかではなく、

起業それ自体に価値があると思っています。

多くの起業家はそのように考えているのではないでしょうか。

就職するのに、何の為に?とは聞かないですよね。でも、起業をするとなるとその理由を聴きたくなるのは少し変かもしれません。

「何の為に?」を言わなくなった世の中はもう少し生きやすくなるのではないかなと妄想しています。

おわりに

本当に徒然なるままに書いてしまいました。

一体何を書きたかったのか・・・。それもまた良しでしょうか。

来年も健康で生きていけると信じて、また会いましょう。

今年もお疲れ様でした。

HYAKUSHO/湯川

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