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プログラミングのプの字も知らなかった夫が、3年でナショナルクライアントから仕事を取るプログラマーになった話

夫は会社員である。
大手グループ企業の末端の会社(従業員数2,000人程度)で、契約社員から正社員になったのが10年ほど前。

当初は「給料以外はホワイト企業」などと冗談めかしていたが、それなりに社内でキャリアアップし、今は人並みに稼いでいるようだ。
最近は「コンビニで値段を見ずに買うようになった」と小市民なドヤをかましているが、どこで何を買うにしても私は必ず見るので、単純に性格の違いだと思う。

違いといえば半分SNS上で生きているような私と異なり、夫は一切のSNSをやっていない。
一応IT関連職なのでデジタルにうといわけではないが、単純に無くて困らないからだろう。

なぜなら夫は、(私に言わせると)パリピである。
学生時代の体育祭の集合写真では、団長としてクラスの最前列で金髪ピースで地面に横たわっている。
パリピの権化だ。
女子だけのオタク部部長だった私が学生時代同じクラスだったら、絶対に友達になっていない。

そんな夫だから、地元の友人たちとは今でもよい関係が続いていて、お盆帰省中も夜中まで楽しく飲んでいたようだ。
そして家に帰れば気も趣味も話題も合う私という人間がいる。
私と違いオタク趣味もなければ、裏も表も無い性格なので、現実世界で居場所が構築されていればSNSは必要ないらしい。


前置きが長くなったが、そんな夫が知識ゼロからプログラマーになった経緯について話したいと思う。

契約社員として入社した時から3年前まで夫が在籍していた部署は、今はまだ必要だが近い将来終了するレガシー的なインフラの保守を行なっていた。
日本のインフラを担うという重要な仕事ではあるが、発展性があるわけではないので、なんとなく閉塞感が漂っている場所だったようだ。

ある時、夫がリーダーを勤めているチームにHくんという20代前半の派遣社員が入ってきた。

仕事はできるが、コミュニケーションが苦手で愛想もとてもよいとは言えない、(夫曰く)ロボットのような青年だった。
しかし彼には没頭できる趣味があり、仕事以外の時間をほぼそれに費やす人生を楽しんでいたので、社会の評価はそれほど気にしていないようだった。

その趣味というのが、プログラミングだった。
しかも相当な凄腕らしい。
チームで使っていたエクセルマクロをいとも簡単に使いやすく組み直したりするので、最初は便利なやつだくらいに夫は思っていた。


ある日夫は、H君と二人で研修に行くことになった。
その移動中に、突然H君は「もっとこうしたらいいんじゃないですか」という業務への改善案を10個くらい提言してきたらしい。
夫は仕事に無関心に見えたH君がそんなことを考えていたこと、そしてその目の付け所にも驚いた。
夫自身、いずれ終わってしまう部署での変わらない毎日に流されていたことにも気付かされたのかもしれない。

夫はH君が言ったことを、全て実行することにした。
それをチームのミッションとして、H君を中心にメンバー全員を巻き込み、(通常業務もこなしながら)次々と実現していった。
その行動と成果により、夫のチームは間も無く部署内で、そして社内全体でも噂になっていった。


そんな折、社長から全社員に向け、「これからはAI技術に力を入れていく」というお達しが出る。
これはおもしろいと、夫はその頃に部署内でよく発生していたトラブルを改善する、AIを使ったプログラムの開発にチームで取り組むことにした。
その取り組みが非常に好調で、開発途中から(1チームの本業以外の活動に)正式に予算がつくプロジェクトになるという異例の事態に発展する。

しかしチームで取り組むと言っても、実際に手を動かして開発を行うのはH君である。
話が大ごとになってきたところで、とうとうH君が自分一人では無理だと音を上げた。

H君「バックエンド(システム構築)はやるんで、フロントエンド(ユーザーが実際に使う際の操作画面)はお願いします。」
夫 「俺が?」
H君「納期まで時間が無い、あなたしかいないです。」

そして夫はすごい勢いで勉強を始めた。
フロントエンドなのでHTMLやCSS、JavaScriptあたりから入ったのだと思うが、夫はプログラミングはもちろん、自分でホームページを作ってみたことすらない。
とにかく実践の中でゼロから調べながら、15歳も年下のH君にしごかれながら、学んでいった。

その頃にはコロナ禍でリモートワークになっていたから私はその様子をずっと見ていたのだが、本当によくやったと思う。
社内のプロジェクトとは言え仕事は仕事、初心者だからと言い訳はできない。
昼夜問わず休みなく取り組んだ結果、プロジェクトは無事完遂された。

その取り組みは『社長表彰』という、わかりやすく目に見える形で社内で評価された。
夫とH君はその頃にはすっかり社内の有名人となっており、今まで縁のなかった他の部署とも交流するようになっていた。


そんな中、新規事業の開拓を行う部署への異動の話が持ち上がる。
他社の課題を解決できるサービスの開発を中心に、全く新しい事業を創出するという、チャレンジングな部署だ。(大企業にはそういう部署がよくあるらしい)
次のステージとしては申し分ない。

基本仕事は在宅での開発業務が中心になり、出社が減ることも、移住を考えていた私たちにとって都合が良かった。
夫は異動を決意した。


その新しい部署は立ち上げ数年目でまだめぼしい実績が無く、そろそろ売り上げを立てないとやばいという状況だった。
しかも「サービスを開発して新しい事業を創出」する部署なのに、内部に開発できる人材はいない。
というより、クライアントの課題の洗い出しで苦戦しており、まだ開発の話にまで至ってないというのが実情である。

夫は真の課題を引き出すためにも、とにかくまずは具体的な形をぶつける必要があると考え、ヒアリングで見えてきた課題の解決法を、覚えたてのプログラミングですぐに形にして提案した。
そしてそれを繰り返した。

プログラミングは決してプロと呼べる段階ではない。
けれどお客さんと直接対峙し、課題解決にはこうした方がいい、と自分が感じことを1番表現できるのは自分自身だ。
(この辺り、決して絵や漫画が特別うまいわけじゃないが、企画から提案する広告漫画家を名乗って仕事をさせてもらっている私は強く共感する。)

その結果、最終的に開発は成功し、そのお客さんから大きな信頼を得ることができた。

そしてそこから仕事は広がり、今は国内で展開する誰もが知る企業の案件を手がけている。

H君とのAIプロジェクトを機に、プログラミングを学び始めてからわずか3年。
本職のプロエンジニアから見れば、お粗末なコードを書いているに違いない。
今だってわからないことが多すぎて、夜な夜な奇声を発している。
それでもめちゃめちゃ勉強して、知識ゼロからここまで成長した夫はマジですごいんじゃないだろうか。


随分長くなったが、これが夫がプログラマーになった経緯である。

部署の至上命題である新規事業の創出が始まりつつあるので、そのうち人の補充もあるだろう。
その時にクライアント担当が増えて夫が専業プログラマーになるのか、逆にプログラマーが入ってプロジェクトマネージャーのような責任者側になるのかはわからない。
夫としてはどちらでもいいし、立場的にそのうち管理職になって手を動かさなくなる可能性もあるらしい。

そんな感じで特にプログラマー職にこだわっているわけでもない夫だが、プログラミングについてはやってよかったと思っているという。
プログラミングに触れたことで、現代の多くのシステム・サービスがプログラマーによって作り出されており、自分はそれを享受しているだけだったということに気付かされたから、というのがその理由。
使う側ではなく、それを生み出す側に立てる能力を身につけたことで、もし会社を辞めることになってもなんとかなるという確信も得たようだ。


ちなみにその後のH君。

夫はH君からプログラミングの手解きを受ける一方で、H君の社交性や社内での立ち振る舞いの面を鍛えたらしい。
入社当初より随分と社会人らしく(夫は「人間らしく」と評していたが)なったH君は、夫の異動から半年後、見事トッププログラマーとしてその力を活かせる部署に異動になった。

私としては、社内ベンチャーでも退社でもなんでもいいので、いつかH君と新しく会社を起こす展開が熱いんじゃないかと勝手に思っている。

そのときは社長権限でぜひ私に広告漫画の仕事ください。
お待ちしております。

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