過疎地域の祭が生まれ変わる瞬間に立ち会った話
田舎にとって、夏祭りと言えば一大イベント。
私が移住したみなかみ町でも、今の時期は毎週末そこかしこの地区で神輿や『まんど』と呼ばれる山車(だし)と共にお祭りをやっています。
今住んでいる湯宿温泉も、以前は祇園祭と呼ばれる祭をやっていたそう。
コロナで3年間開催せず、さあ今年はどうするというタイミングで、私はそれを決める立場である地区代表者の一角を担っていました。
もちろん移住してきたばかりの新参者なのでそれまでの祭のことはわかりませんが、代表者たちがどうすんべぇと頭を悩ます気持ちは容易に察することができました。
というのも、湯宿温泉は高齢化がかなり進んでおり、神輿の担ぎ手も足りなければ、本来祭を楽しみにしているはずの子どももほとんどいないのです。
代表たちの話し合いは、なんとなく皆が「以前のような祇園祭はできないから、どのように縮小すべきか」という方向で探っていたような気がします。
しかし、ある1人の発言で流れが変わりました。
曰く、「自分は日中仕事をしていると、地域の人間と顔を合わせて話す機会が無い。そういう場を設けられるといいんじゃないか」。
つまり、お神輿や出店といった事象としての祭から、祭本来の目的である地域のコミュニケーションを切り出してはどうか、と。
この発言をきっかけに、話はスムーズにまとまり始めました。
実際のところ、祭では神輿やまんどを引いて練り歩いてクタクタになった後は、事務所に集まりお酒を飲んでどんちゃん騒ぎをやるのは定番だったようで、そこだけやればいいんだと皆の頭の中でスムーズにイメージできたのもよかったのかもしれません。
祭じゃないから『納涼会』のような名称にしてはどうか、神輿やまんどはお披露目しよう、などサクサク意見がまとまったあと、すぐにビールは何ケースいるかとかお酒の話で盛り上がり始めたおじさんたち。
私も慌てて「『祇園』の名称は残した方がいい」「ビール以外のお酒も考えてくれ」「初の試みで何が行われるか伝わりづらいだろうから私に告知チラシを描かせて欲しい」など発言をねじ込ませていただきました。
そして当日。
第1回だし、代表たちとその家族くらいしか来ないかもねーなんて言っていたのですが、蓋を開けてみれば予想以上の人がやってきてお酒が足りないくらいでした。
長過ぎるのではと懸念していた4時間もあっという間。
みんな本当に楽しそうで、久しぶりにゆっくり語り合ったり、子どもたちの成長に驚いたり。
そこにいるだけで、地域の人にはこういう場が本当に求められていたんだなと感じました。
移住者としてこの機会に立ち会って1番思ったことは、栄えた過去の記憶に捉われず、現実と本質を見て変われる地域でよかったなということ。
もし「地域の伝統を守らにゃいかん!その為に若いもんは強制参加!」と祭を強要されてたら、私は移住に失敗したとマジでガッカリしたことでしょう。
実際そういう過疎地域はたくさんあると思うのですが、きっとすごいスピードで廃れるんじゃないかなあ。
湯宿は新規移住者である私がしゃしゃり出て代表をやっても黙って見守ってくれてたり、ありがてえことですよ。
湯宿温泉の祇園納涼祭は、来年以降もきっと続くでしょう。
そして今年楽しんだ人の話が伝わって、来年はもっとたくさんの人が来るはず。
みなかみ町で家を建てようと絶賛土地探し中の私たちはいつまでこの湯宿にいるかわからないけど、この機会に立ち会えて本当によかったなと思います。
(おまけ)第1回祇園納涼会へのご意見
最初の乾杯で問答無用で缶ビールを渡されたので、他のお酒はあるか聞いたら「あるよ!ウイスキーあるから自分で割って」
違う!そうじゃない!私がビール以外のお酒と言ったのは、レモンサワーとかほろよいとかそういうことやで!!
次回は買い出し班に誰でもいいから女性も入れて!!
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