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#20 只管打坐とガトリング砲

 座禅会の話。

 この集まりについては何度か触れているが、近所の曹洞宗のお寺で月2回、日曜の早朝に行われている。参禅するようになってもうすぐ1年。すっかりハマって、毎回欠かさずお邪魔している。

 このお寺の座禅会の歴史は古く、変遷もいろいろあったとのことだが、酒の席で適当に聞いた話で、詳細はすっかり忘れてしまった。現在は中高年を中心に10人前後が参加している。寺は550年以上続く古刹だが、街の中のお寺さんという感じで親しみを感じる。だがよくみれば、何度か再建しているという建物は威厳がある。

 掃除が行き届いている座禅堂は、広く余計なものがなく、座禅用の座布団が整然と並ぶ。ほんのりお香が薫り、小窓からは庭の緑がわずかに見える。この空間がなんとも贅沢で、心地よい。

 作法は詳しく書かないが、住職によると、このやり方が正しいとか間違っているとか、意味や意義など、考えない方がよろしい、とのこと。雑念が浮かんでくるのはほったらかしておいて、姿勢と呼吸を意識せよ、とまあこんなことを最初に言われた気がする。

 経行(きんひん、歩く禅)をはさんで計1時間ほど座って終わり。長いな、と思うときもあるし、もう終わり?と思うこともある。そのあとは、みなでコーヒーやお茶を飲みながら話をする。地域の古老たちの話を聞くのは、意外なほど楽しい。

 参禅のきっかけは、マインドフルネスに興味があったという高校生の息子の総合学習の研究。息子が自分で調べて、この住職がかつてロサンゼルスで瞑想の指導をしていたことを知り、電話して話を聞きにいったのである。その際もらってきた冊子に座禅会の案内があり、自己流で座禅をやっていた私も体験してみたくなり、問い合わせて会に参加することになった。

 マインドフルネスについては、住職が息子にすごく親切にいろいろと説明してくれたそうで、息子も朝起きられたときは座禅会に参加している。なかなかの座りっぷりで、変わった高校生だなと思う。自分が高校生だった時期に、1時間近く座るなんてことは絶対できなかっただろう。住職も、若者が興味をもってくれたのがうれしかったようで、よく話しかけてくれている。

 座禅のやり方だの効用だの意味だの意義だのについては、関連書籍をいろいろ読んできた。自分なりに得心していることもあるし、分からないことも多くある。それについて書くのは大変なので触れません。ただ、家でひとりで座るのと、永平寺で修行した指導者のもと、多くの仲間と同じ空間で座るのは、全く別物であると感じている。調い(ととのい)は、ここにあります。サウナで体感するのとは別のものです。全く違うとも言い切れないけど。

 チャクラ全開で悟りが開けたとか煩悩がすっかり消え去り光に包まれたとか頭脳がバキバキ明晰になって神が見えたとか言いたいところだが、座禅を終えた1時間後には、PS5版アーマード・コアで「死ね~」と叫びながら両腕ガトリング砲をぶっ放しているのだから、推して知るべし。まあ自分が意識高い系のマインドフルネス野郎ですらないことは間違いない。

 そんなわけで全く説得力はないですが、穏やかに生きていく一助として、静かに座ることを、できればみなさんが一緒に座る場への参加を、おすすめします。

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