20240501 公園にて

「なるほど。確かにキミの話には一理ある。何事にも表裏がある。光があれば闇もある。ただね。私はそんな月並みな話をしたいわけではないのだよ。」

老人はそう言うと、公園のベンチに静かに腰をおろす。自分も突っ立っていては居心地が悪いので、老人の横に遅れて腰をおろす。ベビーカーを押した女性が目の前を通り過ぎる。よく見ると、小さな白い老犬が背中を向けて乗っている。

「キミもそれなりの歳だ。大きな夢を抱いたり、そうでなくとも何か具体的な目標を持ったことはあるだろう。そうすることで、羅針盤で進路が定まるように方向性が明確になり、多少の嵐に見舞われたとしても帆を張り直して目的地に向かって邁進することができるはずだ。あぁ、すまないね、これこそ月並みだな。まったく。」

老人は白髪混じりの顎髭を撫でながら、静かに喉を鳴らす。

「ただね。」

「少し注意しなければならない。目標を持つということは、目的地へと直進するという合理的思考に支配されることになる。それは"生きる"という根源的思考に集約される。"どうすれば生き残れるか"ということだね。もちろん、普段の生活の中でただ目標を持つということが"どうすれば生き残れるか"ということには直結しない。中学生が明日の小テストで満点をとることは、どう考えたって"どうすれば生き残れるか"には結びつかないからね。あまりにも馬鹿馬鹿しい飛躍だとキミは思うだろう。それについては認めるし、弁解するつもりもない。」

「ただね。」

「その合理的思考により視野が狭まり、キミという独自性が大きく損なわれるというおそれがあるということに留意せねばならんのだよ。まぁ、すぐには理解できんかもしれない。死にゆく老人の戯言だと思ってくれたらいい。」

視界をナイフが引き裂く。驚いて目を上げると、ちょうどこのベンチにだけ強烈な木もれ日が差し込んでいる。思わず手で光を遮る。

「"生きる"ということは人間として当然の選択だし、生ある者の本能として疑う余地はない。だが、果たして本当にそうなのだろうか。"生きる"という何の疑いもない目的を取っ払ったときこそ、個体としてのキミという存在が一気に光り輝くのではないだろうか。これは生を否定して死を信仰しているという訳ではない。"生きる"ということにも"死ぬ"ということにも全く動じないということだよ。まさに第三の選択肢だ。」

そこまで話すと老人は時が止まったように黙ってしまった。日は陰り、風が少し出てきたので、肩を叩くようにそっと言葉をかけてみる。

「それこそが独自性と言うことですか。」

「キミは理解が早くて助かったよ。私はそれを探し歩いてきた。何世代と気の遠くなるほどの時間をかけてね。表と裏。光と闇。生と死。その狭間をね。」

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