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Manzanar 日系アメリカ人強制収容所跡

 私が訪れた時も、強風が吹き荒れていました。
忘れてはいけない。繰り返してはいけない歴史の舞台だと思います。



収容所での暮らし

 

手作りの杵に洗い桶で餅つき大会を

 どんなに苦しい状況であっても少しでもより良く生きる
そんな日本人としての誇りを感じます。


退役後442連隊の資料


備忘録

友人が家によってくれた時、 Manzanar へ行こうと思うって話題にしたら一瞬びっくりしながらも、いろいろな話を聞かせてくれた。
彼女がLAの育ちだということは知ってたけど、いろいろ初めて聞く話がいっぱい。
彼女は日本に何もルーツがあるわけではない白人のアメリカ人。そんな彼女が育つ時、1960年代。彼女が育ったリトルトーキョー近くの街ではManzanar はまだ生々しかったのだ。
それは、自分が育った時を顧みても思う。私の周りにも戦地へ赴いた大人がたくさんいた。いくら戦争を知らない世代と言われた私たちでも、戦争というものが生々しかった。ドラマ一つにしてもね。


1992年からのアメリカ暮らし、ボストンはそろそろ四半世紀になりました。 「取材」と称していろいろ経験したり、観光ガイドも楽しんでいます。 https://locotabi.jp/loco/hyacinth 応援していただけたらとても励みに思います。