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2020‐08‐17 母を看取った後の日本滞在日記

わたしは、母の死後もしばらく日本の実家に滞在して、重病のために身体が不自由な母のパートナーと二人で過ごしている。掃除や洗濯などの一般的な家事と、彼の食事や生活のサポートをしながら、母の死後の様々な手続きや作業に取り組んでいる(さらに、合間には仕事もしている)だけで、文字通り一日が終わってしまう。かれこれひと月以上、ずっと睡眠が足りていないし、自分のための時間などなかった。

こういう生活を送ってみて思うのは、母は散々愚痴や文句を言いながらも、結局は、他者のために自分の時間を費やす生活を自ら選択し、長年それを続けてきたということだ。わたしが知る限り、彼女はその人生の大半を身近な人たち(さらに言えば、彼女と共依存関係にあった人たち)のために消費してきた。

彼女の選択に、正しいも間違いもない。彼女がそう選んだというだけのことだ。ただ、わたしがはっきりとわかったのは、彼女もまた、立場/役割を生きることが「全うに生きること」だと思っていたのだろうということだ。彼女のような生活/生き方の中で、自己を想起し、自分を作り、自らを生きることなど不可能だろう。

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