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スター【読書感想】朝井リョウ

前の記事で柚井麻子さんのランチのアッコちゃん読んで、次は幹事のアッコちゃんだと書いたけど。いや 読んだんだけどね。
心に残る物が無かったから省略。
質や価値じゃなくて今の自分が欲しい物じゃなかったんだなーってことです。
それを欲しい時はもっと心が寂しい時だな。

で 朝井リョウさんの著作の2020年の作品に手を出しました。
「六人の嘘つきな大学生」の装画のイラストレーターさんと一緒。
朝井さんと言えば「今」の(その書かれている)時代の一場面を切り取る
カメラみたいなリアル感のある等身大の小説を書くって印象。
キャラクターに読者に伝える伝播力のあるセリフを言わせますね。

あらすじは映画監督を目指した二人の男子を中心にそれぞれが歩く道が対照的で、お互いがお互いを羨みながら自分の今いる場所で何ができるか、何が正しいのか、を悩むお話です。

これにYouTubeやクラウドファンディングが絡むからめっちゃ現代的。
今の時代は誰かしら関わってるからね。
作る方にしても受け取る方にしても。

立原尚吾と大土井紘が共同制作した『身体』と言う映画がコンテストでグランプリを取ったことから話が始まる。二人のそれぞれの映画製作にまつわるきっかけをインタビュー記事で紹介するというような形でそれぞれの立ち位置が分かってくる。

立原尚吾
たぶんこっちが尚吾だな。名監督と呼ばれている鐘ヶ江監督率いる鐘ヶ江組に監督補助として就職。場面一つ一つにこだわりを持って映画製作をできる質のいい環境に入れて心躍る若人。若いのに新しいものを受け入れられない頑固な性質があり、「質のいい物」と言う本人が信じたいものとは時代が変化していって価値観が変わっていくことを受け入れられない。
しかし映画以外にはいろいろ目が見えてないなぁ。見えてないなー。
尚吾 流石に気がつかな過ぎでは・・・ って思いながら読んでた。

大土井紘
感性型の監督性質です。自分がいい!と心に来たものをそのまま映像として撮りたいみんなにも見せたい。と言う感性でピントを合わせられるタイプです。どこだろう。島出身ってことなんだけど、のどかなジブリに出てきそうな田園風景とかトラックとか走ってそうな島です。
プラプラしつつ就職しなくても友人の家業の手伝いだったり、グランプリの映画からの伝手でYouTubeの編集のお仕事やまたそのYouTube編集を見た人からの伝手とかでどんどんお仕事に繋がる器用な人です。

って対照的な二人なんですが、尚吾は昔ながらの映画館で上映される質のいい映画の監督を目指すけど、当然いい物ってのは作り上げるまでに時間がかかるし関わる人も多くなる。その割に供給できる映画館はどんどん閉鎖に追い込まれて上映すらできなくなっていく。自分が作品を作り上げることもできずに時間や機会が減らされていく環境に心を縛り上げられている状態。
紘は映画監督で培った映像編集技術で『身体』の主人公だった長谷部要と言うボクサーの所属するジムのYouTubeをほぼ一人で量産して再生数を稼ぎ、インフルエンサーの話題にも上り、100万再生を成し遂げちゃう。本人が望んでいる状況ではないけども、作品を作り披露できるプラットフォームも安泰で、評判を獲得して実績を積み上げている状態。
望んでいる状態ではないけど。

朝井リョウ先生の小説の味わいは登場人物のセリフに現れると思うんですよ。尚吾と紘の後輩で本人は監督の才能は無いけど、人を動かすとか場を収めるとかそういった空気の操り方を得意とする泉の、誰でも発信をすることができるこの時代への言葉。
「今活躍しているYouTuberは、映されるものが映すものよりも先にある人たち、ってかんじですかね」
「料理人が料理の動画出したり、トレーナーがフィットネス動画出したり。美容部員によるメイク術~(中略)その人が好きでやってることがあって、そこにカメラが向けられてるだけ、みたいな。YouTubeのおかげで、『それで食べていくことができたら』っていう人たちが本当にそれで食べていけるようになったんですよ。そのうえで、自分がやってきたことを社会に還元したい、みたいなモチベーションの人もおおいんです」

他の人の感想とか読むと、「付箋がどんどん多くなるー」ってよく言われていて、なんだろうかとピンと来なかったけど理解した。

このセリフは後でまた読もうって。目印つけたくなるんだね。

中身があって、その周りに人が集まって輪郭ができたら、たとえその後中身がなくなって輪郭だけになっても、それは「ある」ってことになるんだ。
「ない」のに「ある」ように見えるんだ。

って。

監督って言う「もの」で話は進んでいくんだけど、何かを持っている人、何かを作ることができる人ってのが中身だとして
それがいなくなっても輪郭を作れる人、あそこにこれがあるよって多くの人に伝えられる人 がいれば存在してしまうんだ って。
ここら辺は紘とジムのマネージャーみたいな立ち位置の人(紘からすると雇用主)の対立なんかが分かりやすく描かれているのかなーって。
そのもやもやしたドラマをきっちり言葉で枠付けして読者に教えてくれる役割なのが泉なんだろうね。

たぶんね。泉は水瓶座かてんびん座だと思う。
ふわふわした形を掴めない物、水空気風みたいな物を汲み取ったり分けたりして他の人に分かるよう形作ってくれる役割の星座だ。
その泉も悩んで、尚吾と紘にヘルプを求めていくのがまた。

頑張っているっていう「状態」を切り売りするだけで認められる世界、それが金になる時代、もっと早く知りたかったよ。

ジムのマネージャーは元々ボクサーを志望していたけどその道では芽が出なかったから要が注目されて、そのYouTubeが収益化されると要を商品として売り出してYouTubeの頻度も上げてさらに利益を稼いでってそういう方法で彼なりにジムを盛り上げていきたかった らしいけど

紘を首にして画像のクオリティーが下がりに下がってそれに伴って再生数も減っていくってのは、お前はほんっと!そういうとこだぞ。駄目なのは。
ってよくいる駄目な経営者を見ている目線で見てしまった。
会社の方針に背いたとかで有能なスタッフを切っちゃって結局本体も駄目になっていくパターン。何万回とどっかで起こっているこれを。

確かにものを持っていない人間でも活躍できる場はできた。
機会も平等。新しくできたそれに社会的なルールも追いついていない。

だからこそ、それに向き合う個人の心が大事なんじゃないかって結論に至ってた。提供する側のね。
受け取った相手に対して自分が良いと思えるかって。
数にしか見えていないその一つ一つに受け取った相手がいてその「心」にどう投げかけていくのかって。

小説はそんな感じで締められていたけど、私としてはYouTubeの収益化のルールなんかが勉強になった。
裸はガイドラインがめっちゃ厳しい。男性でも乳首はダメ。
再生数に最低ラインがあって審査されるとか、1000人が収益化の最低ラインだとか。映像編集の技術を持っているとめっちゃ重宝されるとか。

思いもよらず知識増えた。





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