「大丈夫」のひとこと 、 あなたにとってはおまじない?それとも呪い?
︎︎☁︎︎*.┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┄┈︎︎☁︎︎*. ぐちゃぐちゃだった 本当に死んでやろうと思った 死ぬ方法も、全部決めて 生きる希望なんてとっくに失っていて でもきっと本当は生きて痛くって だから口にせずにはいられなかった おかげで今も食いつないでいる ︎︎☁︎︎*.┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┄┈︎︎☁︎︎*. 去年の夏から入退院を繰り返していた。 体調は良くなったり悪くなったりを繰り返し、心身ともに疲弊していっていた。
「君のなみだも笑顔の形に響かせてやるから」 わたしはまだまだがんばれる、まだやれる。 そうやって無理してきた結果がこれで。 何もかもなくなってしまった私に残された希望は? 大好きで得意だった読書 あれ 文字が頭に入らない 薬と過食で醜く自己管理のできていない身体 長時間立っていることすらできない 1日の気分の波と躁鬱の大まかな波と闘い 家族には病気特有のイライラをぶつけ 当たり散らかし 時には自分のことを傷つけ しにたいしにたいと泣いている 寝たきりの日もあれば動ける日も
色んな人に会えて嬉しいな、とか 定期的に会いたいと思える人がいることって幸せなんだって 周りの人に支えられて生きていることを実感している 今年は桜がいつもより綺麗に感じた それに伴って、儚いな、とも 今は躑躅が咲き誇っているね 躑躅も綺麗 何かを綺麗と思える自分は好き 海に行きたいな しにたくなってしまうかな 遠くに行きたいと願ってしまうのはきっと悪いことだね 家族がいて、大切な人もいて、友達だっていて、支援者も、何一つ欠けていないのにしにたくなってしまうのはどうし
いじめられてた時の記憶ほど捨てたいものはなくて 今の自分ほど嫌いなものはなくて 考えれば考えるほど喉がツンと痛くなる やだなぁこんな自分。本当に嫌いだ。
わからないよね しんどい。の感情が言語化されないまま心の中に積もっていくのも わからないよね 自分でかけたお呪いが自分で解けないのも わからないよね わからない
こんな日もあるよね、なんて言い聞かせながら心做しかみんなよりゆっくり進んでいる気がしている時間を過ごしています。お元気ですか?
昔からなにか自分から我儘を言うということをしてこなかった気がする。あくまでも気がする、だけど。真っ当な人生なんて何も歩んでいなくてただ周りが喜ぶように争いにならないように過ごしていた。弟が病弱でおとうさんにもおかあさんにも会えなくても寂しがる様子はみせなかった。小2で共働きになって夏休みひとりで日中留守番をするようになって、おかあさんに笑顔で「いってらっしゃい」を伝えて車が見えなくなってから毎回泣いていた。でも少しでも褒められたかったから色んな家事を覚えてこなしていた。クラス
おはよう、こんにちは、こんばんは。 年末はnoteたくさん更新するぞ~と思っていたのに出来なかったです。ザンネン。ということで2023年の締めくくりと2024年の目標でも綴っていこうかなと思います。 まず、12月22日から2週間の休息入院に入っていました。 つまりクリスマス、年末年始は病院で過ごしていたということです。これが今回のタイトルの由来になるのかな。 2023年は秋から2ヶ月短期アルバイトをしていて、その疲れもあり心身ともに疲弊しきってしまったので休むことにした
ぼくはふらふらと何も見えない道をただ歩かされている やがて壊れてしまったかのように崩れ落ちてしまう 「助けて」そんな声も出やしない 気付いたらあたりは暗闇で____ なんて昔はよくそんなようなことを考えていた気がする。 「ふよちゃんはまわりがよくみえているね。」 と大人は言うけれど全くそういう訳じゃなく、私が世界から切り離されていただけのように思う。 周りからよく思われたい、誰もがそう思って生きているのだろうけれど、私はきっとその気持ちが人よりも強い。 嫌われるのが単に
例えばプレゼントとか 小さなことかもしれないけれど 私の存在がみんなの中に少しでも在れたらいいなって そんな風に思ったりしています໒꒱·̩͙
ここから先の文章は私のつまらない自語りですので閲覧はみなさまのお好きなように。読んでいておもしろい話ではないと思うので……。 最近少し、いや結構悩んでいたことがあった。 ただでさえ自分は他人に迷惑をかけるような病気を持っているのに、増してやその病気にとってSOMOSOMOのライブに行くという趣味は適してないんじゃないだろうか、と。そして、知らず知らずのうちにメンバーや他のファンの方たちに嫌な思いをさせてしまっているのではないかと。 最近、それもほんとここ2ヶ月ぐらいだけ
4年間と半年在籍していた大学を辞めた。 「もう充分頑張った。もう、いいんだ。」 そう思えるようになるにはすごく時間を要したと思う。 色んなことと闘いながら実際に通った1年半 しんどくて苦しくて、でも戻りたかった3年間 今思えば無駄なあがきだった期間なのかもしれない、大学とは在学しているだけでお金だけが無くなっていく機関でもあるのだ。それをわかっていたのに、すぐには決断を下せなかった。 それは、高校の時だってメンタルも体調も壊れていたのにきちんと終わらせることが出来た、
絶対ひとりにひとつしか与えられないもの 本来なら大切にするものなのにどうしてこうもみんな投げ出してしまうのだろう なんて大体の人が思うかもしれない 無駄だ、もったいないって でもそのひとつを捨ててまでも逃げたいことがあって どうしようも出来なくて だけど 誰もいかないで
「周囲が幸せそうにしていることが嬉しい」 そうやって素直に思えなくなってしまったのは いつからだろうか。 なんでお前らはそんなに楽しく生きているのに、 私はどうしようも無い障害を持って 自分のしたかった学びも思うように出来ず 苦しまなきゃいけないの。 とひねくれた考え方をしてしまう自分が情けなくて嫌になる。 他人は他人。自分は自分。 そんなこと言われなくても解っている。 自分の人生なのだからどう行動するのかなんて 全て自分次第なのだ。 「いつでもわらっていればだいじ
「強いってどういうコトを言うのかな。力がある?権力がある?ううん、そんな在り来りなことだけじゃない。だって_」 いつでも頑張れる人は強い? 笑顔でいる人は強い? 何されても、何言われても、泣かない人は強い? きっとそれはどれもすごいコトなのだろうけれど、 やっぱり、「助けて。」が言える人がいちばん強いってコトに 近いんじゃないかなって私は思うんだ 周囲に助けを求めることって簡単そうに見えて 実はすごく難しくて プライドとかいろんなグチャっとした感情たちが 邪魔をして