思い切り甘えたかった
うちの母親は
自分が生きるのに精一杯で
私に構っている余裕がなかったのだろう。
すごく怒っていたと思ったら
突然笑って
恐怖だった。
風邪を引くと
怒られた。
今思うと心配しすぎての
怒りだったのかもしれない。
体調が悪くても平気なフリをした。
幸い身体は丈夫な方だったので助かった。
相談すると頭ごなしに否定されるので
小学校の高学年になる前には
話を聞いてもらうことを諦めた。
両親の喧嘩が始まると
近くの本屋に逃げた。
笛のテストの練習は
トイレの中でした。
腫れ物に触るように
慎重に接した。
地雷がどこにあるか分からないので
徹底的に顔色をうかがった。
母は友人もいなく
孤独な人だった。
外では何も喋らず
奥ゆかしさすら感じるほど
被害妄想が凄かった。
現在も続いている。
私は卒業後
親元から遠く離れた。
今でも電話がかかってくると
動悸がする。
私は結婚しないと思っていたので
手に職をつけて
自立することを1番に考えて生きてきた。
幸い家族を大切にする
パートナーに巡りあい
子どもも授かった。
夫が夫の家族と接するのを最初に見た時
柔らかい態度でやさしさに溢れていたから
驚いた。
家族の会話で頻回に
「ありがとう」と言い合っていて
なんて素敵なんだろうと思った。
一度も暴力を振るわれたこともなく
とんでもなく広い心で
私を放し飼いにしてくれている。
本能的に愛を知っている人なのだろう
無償の愛というのだろうか…
私にはよく分からない。
子どもを産んだら親のありがたみが分かると聞いた。
これも私には分からない。
逆に私がいかにちゃんと育ててもらえなかったかが
露呈した。
私が本当に小さい頃は
母は身体が弱かったらしく
(これも彼女の被害妄想からなる思い込みだと思う)
いつもおばちゃんが育ててくれた。
育ての親みたいな人である。
訳あって小学校に入る頃にはおばちゃんに会えなくなってしまったが、
私が今、子育てと社会生活が出来ているのは
このおばちゃんがいたからである。
感謝している。
私は常々「産んでくれとは頼んでない」と
ひねくれた思考で生きてきたが
今もそう思っている。
ただ、
「生まれたからには生きてやる」
と思っている。
そして出来うる限り
私は私の人生を全力で楽しむ。
でも、ひとつ願いが叶うなら
私はお母さんに
思い切り甘えてみたい
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