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親から子へ受け継がれるもの

同じ小学校に通っていた人が、漫画家になったらしい。
ちょっとしたきっかけで、そのことを知った。

調べてみたら、けっこう売れっ子みたいだった。すごい。

私と彼女は学年が違ったのでそんなに仲良くはなかった。けど、親同士が仲が良かったため、彼女の家に遊びに行ったことが何度かある。

彼女の名前を見ていて、そのときの事をふと思い出した。

名前をAちゃんとしよう。

ある日、親に連れられてAちゃんの家に行った。三学年上のAちゃんはまだ寝ていて、リビングにはいなかった。
わたしはAちゃんのお母さんと自分の母親が世間話に花を咲かせる横で退屈していた。

Aちゃんのお母さんは主婦をやりながらときどき自宅で絵の先生をしていた。優しい笑顔がトレードマークの、美人な女性。話し方も柔らかくて、優しい。ときどき飛び出す冗談が面白い。でも、自分の娘でもない私に対しても、だめなことはだめだとはっきり言うので、わたしはAちゃんのお母さんが少し苦手だった。今ならありがたいことだと分かるけど。

果てしないように思えた母親たちの世間話に、奇跡のような少しの間ができたとき、Aちゃんのお母さんが「そろそろAを起こそうかな」と言って立ち上がった。

そのまま二階にあるAちゃんの部屋に行くのかなと思ったら、Aちゃんのお母さんは台所に入っていった。

パンを乗せた小さな皿と牛乳の入ったコップをもって台所から出てきたAちゃんのお母さんは、それをリビングにあるパソコンの横に置いた。

そしてようやくAちゃんを起こしに二階に上がっていった。

しばらくして、Aちゃんが起きてきてパジャマ姿のまま階段を降りてきた。

リビングを占拠するわたしたち親子に気分を害した様子もなく、寝ぼけまなこで挨拶をしたAちゃんは、そのままパソコンの前に座った。

彼女はパソコンの横にセットされたパンをかじりながらパソコンで絵を描き始めた。

わたしの座っていた場所からは、Aちゃんがどんな絵を描いていたのかは見えなかった。

わたしの母親が「寝起きでパソコンをするのねえ」と驚いたように言うと、Aちゃんのお母さんは「Aは絵を描くのがすきだからね。パソコンの横に朝ご飯を置いておくとちゃんと食べるから」と笑った。

母親たちが、ふたたび終わりのない世間話を開始したその横で、わたしはひとり衝撃を受けていた。

ご飯を、リビングの机以外の場所で食べてもいいなんて!それも、お絵かきをしながら、食べ物には一瞥もくれずに。

わたしの家では、食事のときは食事だけをするのが絶対だった。食事の時間を守るのも絶対。母親が食事ができたから食べなさいと呼びに来るときは、そのとき何をしていてもすぐに止めて、食事の用意されている机の前に座らなければいけない。

わたしは本を読むのが好きで、子供のときは一日中、ずっと本を読んでいた。熱中しすぎて、母親がわたしを呼ぶ声も耳に入らなかった。

食事の時間に遅れてしまっては、毎日のように怒られていた。

本を読みながら食事をするなんて、絶対に許されなかった。ときどき、どうしても今読んでいる本の続きを知りたくて、食事をしながら本を読んでいたことがあった。わたしの母は、なんとかしてわたしに本を読むのを止めさせようと必死だった。

母親の料理はいつも美味しかったけど、わたしは自分が何かに熱中しているときに、それを中断しないといけないことが不満だった。

絵を描くのが好きなAちゃんを理解して、Aちゃんが自然にとる行動を利用して自分の要求を実現させるなんて、親子ともどもwin-winではないか!

目が覚めたときに、朝ごはんの横に本が置いてあったらどんなにいいだろうか。

私のお母さんもAちゃんのお母さんみたいに柔軟だったらなあ、なんて甘ったれた子供だったわたしは羨ましく思ったのだった。

Aちゃんが漫画家になったことを知って、最初に思い出したのはパジャマ姿で眠そうにパンをかじりながら絵を描いていたAちゃんの姿と、そのときの羨ましいなという感情だった。

きっと、朝起きた瞬間から眠りにつくまで、毎日たくさん絵をかいて、死ぬほど努力して、Aちゃんは漫画家になったんだろう。

彼女の長い努力の道は、彼女とほとんど繋がりのなかった私には想像がつかない。でも、私はAちゃんのお母さんとは何度も顔を合わせていたので、Aちゃんのお母さんがどんなふうに我が子を見守っていたのかは少しだけ知っていた。Aちゃんのお母さんは、いつも子供の夢を応援していた。

Aちゃんのお母さんが絵の先生だったから、Aちゃんは絵がうまいのだ、だから漫画家になれたのだ。結局、芸術の才能というものは遺伝がすべてなのだ。もしわたしがAちゃんの家に行ったことがなくて、Aちゃんに対してAちゃんのお母さんがどんな風に接しているか知らなかったら、そう思ったかもしれない。

絵をうまく描く遺伝子というものが存在するとして、Aちゃんがお母さんから受け取ったものは、きっとそれだけじゃない。家に絵を描く道具があったとか、お母さんから絵の描き方を習ったとか、そういう物理的なものだけじゃない。

たぶん、Aちゃんはお母さんから日常生活の中でいろんな形のないプレゼントを受け取っていた。絵を描く楽しさとか、自分の情熱を追いかけること、絵を夢中になって描いていても見守ってもらえる環境、夢を応援してもらえるという安心感・・・。

それは、絵の先生だったAちゃんのお母さんからAちゃんが受け継いだかもしれない絵のセンス以上に、Aちゃんの人生において重要なことだったような気がした。

どの家庭でも、親が物理的に子供に与えるモノ以上に、日常生活でかけるちょっとした言葉や態度、生活習慣そのものが子供に一番影響を与えるのかもしれない。

ちなみに、わたしの母はわたしが子供の頃、よくわたしと一緒に料理をして遊んでくれた。クッキーやケーキ、パンにおにぎり、目玉焼きに味噌汁。なんでも母と一緒に作った。

母の口癖は、「包丁の切れ味が悪いと料理をしなくなるから、包丁は少し良いものを買って、定期的に研いでおきなさい」だった。

美味しい料理には出汁が重要なこと、出汁をとるときに材料をケチってはいけないこと、材料はきっちり分量を量ること、ご飯とお肉と野菜の栄養バランスを考えた献立を作ること、彩りよく盛り付けること・・・。料理の基本はすべて母から教わった。

大人になったわたしは、本を読むのと同じくらい料理をするのが好きだ。料理を仕事にはしていないし、あくまで趣味の範囲だけれど、毎日の自炊が苦にならないことは、わたしの生活を豊かにしてくれていると思う。

わたしが母から受け継いだものは、料理をする楽しさなのかもしれない。

わたしが一人暮らしを始めたとき、新生活に必要になるいろいろなものをAちゃんのお母さんがくれた。Aちゃんが一人暮らしを始めたときに買ったけど今は使っていないものがあるから、と。

料理があまり好きじゃないと言うAちゃんのお母さんがくれた包丁は、とんでもなくナマクラで、お肉がぜんぜん切れなかった。

Aちゃんのお母さんは、Aちゃんがぜんぜん自炊をしないと、ときどき嘆く。私は、自炊したくないならしないで全然いいと思うけど。

良いことも悪いことも、ちょっとした考え方の癖から興味の対象まで、わたしたちは色んなことを無意識に親から受け継いでいるんだなと思った話。

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