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本心

友達だから何でも話すとか家族だから何でも分かり合うとかそういう縛りは非常に息苦しい。友達も家族もかけがえのないものだから、大切にした方がいいのは分かる。彼らに悩みを相談し共感してもらうことや、彼らが頑張る姿を見て自分も頑張ろうと思うことで日々エネルギーをもらっているのだから、当然のことだ。けれども、私たちはいつも誰かの友達、誰かの家族であるわけではない。一人でいる時間や心の中は、誰の何でもない。自分だ。

少しくらい、自分だけの自分であってもいいではないか。多くの人は心の中に誰にも踏み込まれたくない領域を持っているはずだ。たとえどれだけ心を開いている相手でも、自分の中だけに留めておきたい感情、思想、記憶があるはずだ。
秘密の一つや二つは誰にだってあり、心の傷など皆が負っている。その秘密や傷をわざわざ他人に打ち明ける必要はどこにもない。

「友達だからなんでも分かる」というような言葉をたまに耳にするが、その度に違和感を感じる。なんでも分かるはずがないからだ。人には誰しも自分しか知らない自分がいるのだから、そして人の心は日々変化するのだから、なんでも分かるなどという状態になるはずがない。

少し前に友達から、「変わったね」と言われたことがある。どこか皮肉っぽいニュアンスで、嫉妬が混じったような言葉だった。変わったのか成長したのか、はたまた本来の私が目覚めたのか、分からないけれども、変わることの何がダメなのか。人は毎日たくさんの経験をし、選択をする。その中で成功と失敗を繰り返しているうちに、昨日信じていたものを今日は疑うようになり、今日学んだことが明日覆ったりする。この生活の中で昨日も今日も、ましてや5年後も同じ自分でいる方が不自然ではないか。自分の友達に変化があったとき、わざわざ皮肉のように取り立てて指摘する必要はないだろう、という皮肉。

愚痴のようになって申し訳ないが、人が変わるのは自然なことなのだ。それが素晴らしいところでもある。そしていくら誰かと仲良く共生しようとも、人と人との間には必ず距離があり、見えない部分がある。縮める必要のない距離と、見る必要のない部分がある。その距離や部分で自分を保っていたりする。そう考えるとよく知った人に新発見があるのも当然のことだ。心の中で何を思おうと自由。私たちは対人関係に縛られることなく、自由に自分の世界を堪能していいのだ。

私は変化しようとする人を応援している。
最後に断っておくが、距離があるからといって身近な人を突き放しているつもりはない。彼らにはとても感謝している。しかし、距離を置くことが誰かとの関係をより深めるということも起こるものだ。締まっていない気もするがこの辺りで失礼する。

まとまらない話を最後まで読んでくださりありがとうございました。

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