不妊治療について
出産までのカウントダウンに入った。
入院が近くなってソワソワしてきたので、私が三年間で行ってきた不妊治療にについてなんとなく覚えてる限りで書き残しておこうと思う。あまり詳しく書くのが苦手なので箇条書きでざっくりと。
35歳(結婚)
・入籍後すぐにA婦人科にてブライダルチェックを受ける。
・AMHの値が年齢の割に高く、多嚢胞を疑われる。毎月の排卵もうまくいってないかもしれないとのこと。
・女医さんに「あなたは自然妊娠はできない」と断言され、検索魔になる。
36歳
・最寄駅近くにあるBレディースクリニックにかかる。初の不妊治療だったため、タイミング法から行うことに。
・会社の健康診断で子宮頚がん検診に引っかかる。判定が悪過ぎて、Bレディースクリニックに大きな病院、Cクリニックを紹介してもらう。
・Cクリニックでコルポスコピー検査。馬鹿痛くてトラウマに。検査結果は陰性。
・ついでにCクリニックで、不妊治療最初の難関と呼ばれる卵管造影検査を受ける。ビビりまくったが、私はほぼ痛みを感じずラッキーだった。
・Bレディースクリニックでのタイミング法を約一年続けたがことごとく失敗。旦那と会議の結果、体外受精のできる病院に転院を決める。
37歳(前半)
・通いやすい職場近くの不妊治療専門Dクリニックに転院。
・スタッフのホスピタリティの高さにびびりながらも、採卵に向けて初めての自己注射をすることに。
・毎晩ほぼ半泣きで自己注射に挑み、採卵。8個中3個が胚盤胞になってくれる。
・ホルモン補充にて凍結胚移植開始。結果↓
一回目:化学流産
二回目:陰性
三回目:化学流産
・Dクリニックでは調べられない検査や治療が多く、二回目の採卵に入ることを躊躇。旦那と会議の結果、更に大きな不妊治療専門病院に転院を決める。
37歳(後半)〜38歳
・県でも超有名不妊治療クリニックEレディースクリニックに転院。あまりの患者の多さに驚く&待ち時間の長さ(予約制なのに3時間以上待たされる)に泣く。
・仕事との両立が厳しくなりながらも、採卵を行う(not自己注射)。20個中11個が胚盤胞に。しかしOHSSになり、二週間地獄の日々を過ごす。
・自然周期にて凍結胚移植開始。結果↓
一回目:判定陽性。胎嚢のみしか確認できず、8週目に流産手術を行う。
二回目:判定陽性。心拍確認。不妊治療クリニック卒業の予定が、初めて行った妊婦検診クリニックにて心拍停止が言い渡される。9週目に流産手術を行う。
・習慣性流産のため、不育症の検査と胎児の染色体検査を行う。胎児21トリソミー判定。
三回目:判定陽性〜心拍確認でき、今に至る。
振り返ってみて、数々の先生方にお世話になってきたのだな…としみじみ。
一回目の移植で化学流産してしまった時は、この世の終わりに遭遇したくらい泣き続けた。
初めて胎嚢が確認できたのに流産してしまった時は美しい桜の季節で、それを眺めながら電車の中で人目も気にせず泣いてしまったのを今でも思い出せる。
全て命だった。
いや、全て命だ。
化学流産したコも、流産したコも、勿論もうまもなく生まれようとしている坊ちゃんも、全て全て私の子どもだ。
生まれて来られなかった子どもたちの水子供養はしていない。みんなそばにいる。みんな、私の死ぬ時までお墓まで連れて行く。
この不妊治療の記憶は、人生で一番辛く、そして幸せでもあった日々。
※写真は著者近影。ぽっこり。
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