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えらいてんちょうが重要ではないか?〜社会は存在しなくなった。しかし、バカどもは存在し続ける〜

 正直に言おう、私は天才だ。

 web writer古田更一だ。

 私は日本最高峰クラスに天才である。

 先程、藍原タユというバカにnoteをフォローされた。怒りがあるが(ガチモンの発達障害者のお守りは面倒だ。)、マシな部類なため(手伝ってもらう&悪気がない)、諦める。

 私は20年以上生きてきたが、やっぱり天才だ。

 なんの天才かと言えば、当に陽キャ哲学そのものであり、自覚はなかったが、陽キャかつ哲学の才能がピカ1だ。

 人生が苦痛になるのは、社会との外圧くらいだ。

 全てがベーシック・インカムになり、AIが人間を支配する世界を本当に心から待っているし、なぜ人々がいまだにSNS芸人レベルでベーシック・インカムもどきないいねで寄せ集まるかが不思議でならない。

 私は宗教を心の底から嫌悪している。

 非合理なことが嫌いだ。

 怒りはないが、興味がない。

 小説も読めない。

 科学や批評、不謹慎系YouTuberは理屈があるから分かるが、宗教や文学、YouTuberは無意味なため良さがさっぱり分からない。

 しかし、がゆえに、えらいてんちょうこそが柄谷行人(ブント)だったのではないか?という気がしてきた。

 話は戻すが、私は改めて天才だ。

 縦横無尽にいかにだらだら自分が生きるか?それだけを模索しているし、準備は怠らないし、隠さない。

 問題は社会の進むスピードが遅すぎて困ること。

 怒りが募る。

 不謹慎系YouTuberブームが終わり、老害論客から攻撃され、終いには利権ありきのCHATgptとやらに踏み潰された。

 馬鹿馬鹿しいことこの上ない。

 だが、心配はご無用だ。

 バカはたくさんいる。

 小説や文学、家族にハマるバカたちは耐えない。

 IQもオレより低いしガチャ失敗者もたくさんいる。

 もっともIQが高すぎるがゆえにガチャ成功しすぎたゆえに苦労人なんだがね。左利きが原因かな?

 ともかく、私は、どう考えても、天才だ。

 下部構造は怠らない。

 そして、当時みたいに海外企業のweb writerみたいにイキらずに(毎日が遊びだったアレは)、だらだらと苦痛を味わう日本のサラリーマンになろうと思う。

 階級は下がるが、その分、安定しているはずだ。もう不安定な生き方は懲り懲りだ。

 そんなことに気づいたとき、えらいてんちょうの気味悪い顔が頭上に浮かんだのだ。

 彼はYouTuberかつ躁鬱病だけれども、共産党教育をちゃんと英才教育されている紛うことなき天才だ。
 
 もっとも、彼は周りに人々を集めて新しい王国を作ろうと常に模索している。

 えらいてんちょうは経済の下部構造へ目を向けたコミュニティを作れている。

 一方で私はどうだろうか?

 政治の上部構造ばかりに目を向けてしまい(当たり前だ、私が異常すぎるほどに下部構造が得意すぎるからだ)、経済の下部構造でコミュニティを作るなどといった貧乏くさいし真面目臭いゴミダメを良くも悪くも疎かにしてきたのではなかったか?

 反省は一切しないが、私は思想家を半分撤退しても良いと想う。

 バー三代目やエデンに弱者たちはあげても構わないとさえ一貫して思っているチャランポランだ。

 しかし、現実の話をするときに、現代で若者や弱者について分析するときにえらいてんちょうのしょぼい企業からヒロシやミズサーなども後から乗っかったようなものではないか?

 むしろ、えらいてんちょうこそ現代でポスト共産主義を行っている最も天才的なインテリではなかったか?

 人間の大半はIQも低ければ親ガチャも失敗しているのが当たり前ではなかったか?

 それは身に染みて分かるがゆえに、社会は存在しない、ウホウホな野蛮な猿の助け合いを否定するために、不謹慎系YouTuberを逆説的に理系としてAIとしてシンギュラリティとして肯定したのではなかったか?

 私は心の底からメンヘラすぎる政治家も大企業も金持ちも発達障害者たちも興味が持てない。

 が、ゆえに、思うのだ。

 えらいてんちょうこそ最も現代で包括的に下部構造、経済を考えた人間ではなかったか?

 そして、結局のところ、えらいてんちょうを中心にプロ奢ラレヤーや大川宏洋などといったSNS芸人が台頭した。

 しかし、彼らには思想性は薄く、下部構造への理解が足りていない。

 しかしながら、えらいてんちょうには思想性が高く、下部構造への理解が高いのだ。当たり前だが、マルクスを下地に共産党的な理解をベースに政治運動をアクチュアリに展開してきた起業家だからだ。

 もっとも私にはえらいてんちょうのように起業家になろうなんて思えない。

 彼はお金が欲しいし、人望がほしいのだ。

 それは悪いことでは、ない。

 ただ私は余り関心が持てない(リーダーとかはなりたくない。だらだらとさせてほしい)。

 しかし、私が思うに、えらいてんちょうのメンヘラさは文学のバカさを理解するときに役に立つ。

 なぜ人間はかくも愚かなのか?

 私には本当に興味が持てない。

 しかし、えらいてんちょうのような人間が現代にいるだけでも絶望的な状況だろうと、希望はあるのだ。

 〈追記〉
 
 もっともえらいてんちょうの周りは、発達障害者まみれや屑まみれ、メディアで余りに情報操作を企むヤバい奴らまみれだろう。

 もうどうしようもない。

 しかし、だ。

 しかし、えらいてんちょうのような指針がいなければ彼らは生きれないのだ。
 
 と考えると、えらいてんちょうは希望であり、えらいてんちょうよりもバー三代目が盛り上がるのは安易な発想であり、長期的にはエデンの方にこそ思想的な問いはある気がするのだ。

 もっとも外山恒一合宿という名の下品すぎる宗教ビジネスは良くない。同じえらいてんちょう的な構造があろうとも、だ。

 違いはえらいてんちょうの方が外山恒一よりどう見ても賢い。+社会公共性が高いから、あんなに考えて精神病になっている。

 まあ怒りはないが、個人的には思想なんかなくても生きていけますという当たり前を話したいわけだが。

 私からすれば、国民国家などという愚昧な宗教をいまだに信じている/完全に遮断できないバカどもは、金持ちだろうと貧乏だろうと健常者も発達障害者も同じ穴のなんとやらだ。

 しかし、バカどもがたくさん引き締め合うのならば、バカをバカのまま助けるえらいてんちょうのようなバカすれすれの天才は必要だと思う。

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