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自分のルーツをたどり、6代前と座標を重ねる / 北海道・比布と滋賀県・下田

じいちゃん、そしてそのじいちゃん

父方のじいちゃんは、北海道比布町の農家だった。イチゴは必ず凍らせて練乳をかける。トマトには必ずブルドックソースをかける。名前の読み方が2つあって、どちらが役所に出した本名だったか定かでない。葬式のとき、「どっちの名前で読まれるんだろうね」と、親族で笑っていた。

ひいじいちゃんはあまり働き者ではなかったらしく、10人兄弟の長男だったじいちゃんは小学校を中退して働いた。そういう育ちだからか、自分にも他人にも厳しい人だったそうだ(孫にはとても甘かった)

ひいひいじいちゃんは、北海道入植初代。「谷」姓だが、比布町史に名を残す開拓団長「谷定徳」との血縁関係はないらしい。ひいひいじいちゃんが滋賀の下田村から移住してきた1897年は、1895年から2年続いた悪天候・冷夏とは対象的に豊作だったと言われている(「しもだ六百年」- 下田連合区 郷づくり事業史誌部会)。

開拓当初より少し状況はマシになっていたとはいえ、当時の北海道の過酷さはどれほどだったろうかと、常々思う。夜遅くに比布の農地エリアを缶ビール片手に散歩しては、まだ人間の領域ではなかった100年前の闇深いピップ原野に住み着いた人たちのことを想像するのが好きだった。

”下田をあとに、四日市港からアメリカ船で九日間の船旅にて小樽港上陸、移民輸送用の無賃の無蓋石炭車で空知太(滝川)まで運ばれ、そこより徒歩二日、樹木うっそうたる神居古潭を経て旭川についた。そこから入植地に仮小屋を建てるために、笹に紙を結んで、後続を誘導するような道を数日間往復し、五月一日、全員がそれぞれの入植地に移住を終えた(「近江との縁」・比布近江会刊行)”

ルーツをたどり、滋賀県・下田へ行く

2020年8月下旬、仕事で滋賀県に行った。取材クルーと走り回った日々については、9月に公開される予定の記事にすべて叩き込んだので割愛するとして。

https://note.com/torchlight2020/n/n244c72e5c1f1

取材後にフリーで動ける日があったので、湖南市下田まで行ってみることにした。出張先での休日の、往復160kmドライブ。付き合ってくれたホシノくん、ありがとう。ちなみに、札幌市の実家から比布町までの距離も160kmです。


さすが琵琶湖を有する滋賀県だけあって、下田も水の豊かな場所だった。住宅街から車ですぐのところに水田が広がっていて、遠くに山が見える景色になんとなく比布町を感じてしまう。

平日昼の商店街。ダイハツやクボタの工場がすぐちかくにあるが、基本的にはとても静かだった。

趣のある家屋。歴史あるものがそこらじゅうに、当たり前のようにある。

「飛び出し坊や」は滋賀発祥です。

I Hear Your Name

どこを見に行く、誰に会いに行くというわけでもなかったが、とりあえずご挨拶をしておこうと思い、日枝神社へお参りに行った。ここの狛犬は、1918年に比布移住者24名の連名で寄贈されたものらしい。

いたるところに「谷」や「上西」といった比布町で見かける名字がある。この土地と縁があるということを、いよいよ肌で感じるようになってきた。パラレルワールドに入り込んだみたいだ。でも、ドラマでも小説でもないから、懐かしさとか郷愁はまったくない。ただただ不思議な気持ち。

そんななか、灯籠の裏に「谷治三郎」という名前を見つけた。治三郎といえば、ひいひいひいじいちゃん(6代前)の名だ。我が家の入植初代はひいひいじいちゃん(5代前)と聞いているので、もしかしたら治三郎は下田村にとどまったのかもしれない。

ただ、かつて治三郎が灯籠の裏の自分の名前をしゃがんで眺めていたとしたら、先祖と自分はいま、座標的に重なってるということになる。暑さと疲れと、自分にだけ届く情報量の多さで、くらくらしてきた。

新しい比布町、2020年の自分

隙間風の寒かった比布町のストロベリーミルクの駅舎は、2016年に建て替えられた。JR北海道は縮小を予定していたが、町はシンボルとなる場所を作るべく独自の予算を出して広くきれいな駅舎を作った。パンが美味しいし、雑誌もいっぱいあるので、電車を待つ時間をつぶせてとても助かっている。駅近くのカフェではクラフトビールやスパイスカレーが食べられるし、今年の秋にはゲストハウスもできるらしい。ビニール袋で売られていた「きしがみストアー」のジンギスカン(宇宙でいちばん美味しい)は、今は真空パックで冷凍発送されてくる。

じいちゃんの暮らした町が、どんどん新しくなっている。大人になった自分が、じいちゃんのいない比布町に行く理由がたくさんある。たぶん、100年前からこうやって色んなことが変わって、出来上がったり壊れたりして、誰かが笑って、何かを作って、生きて死んでを繰り返してきたんだろうな。

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