ハンターとして、生態学者として、旅人として、「生きる」を考える
この上記タイトルが、自分が今書きたい?考えたい?表現したい?ことな気がする。
何故、今自分は縁もゆかりもない大槌町に住んでこんなことをしているのか。大槌で暮らし、そこに住む人々、そこに棲む生き物と向き合う、そしてたまに新しい視点を求めて旅をする。全ては、「生きる」を考えるところに帰結しているかもしれない。
ゆとり世代、不景気、地球温暖化等等、明るいニュースの少ない時代を生きてきた。何かと昔と比べて不憫に思われる。だがその中で、「生きる」ことには何不自由なく、なんなら恵まれた多様な選択肢のある環境で育ててもらった。その結果、「生きる」を考える状態になったのは、幸か不幸か。
徹底した資本主義の効率化は、様々な分業を生み出した。なので、自分で食べ物をとらなくても、服を作らなくても、家を建てなくても、何かしらかの手段でお金を稼げれば、衣食住を満たすことができる。でも色んなことができる、やれる、ことが、「生きる」ってことじゃないか。野生動物達はみんなそうやって生きている。
自力でどこまで「生きられる」かが分かれば、どこからは人がいないと「生きていけない」のか分かる。そこから他者への感謝も生まれてくるのではないか。
なので、ここからは、様々な実体験をもとにこのテーマに向き合っていくために、物書きを始めたいと思います。どうかご愛読ください。
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