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情けないセルフ解説(長編)

投稿したものの煮え切らない#2000文字のドラマ応募作品
過去ショートショートなんて書いたことない、つかマトモに小説なんぞ書いたこともないのでなんか消化不良。
なので足すだけ足して自己満足したいと思います。

まずこの投稿コンテストの縛りは、『若者の日常をテーマにした作品』であり、『メインキャラクターを3名設定』で『字数は約2000文字』。

オレが若者(笑)だった時の日常って…『モテたい!』だったよな(爆)
つかまだまだプラトニックな部分があった。『ヤリたい!』の前に。
情報弱者だったオレらの時代は小中学生まではキスで子供ができるとか信じてるのがザラ。GF・BF・ペンパルなんて言葉にトキメイていた。(要検索)

そこで最初の設定を思いついたのは『若者の日常』って時代で違うよなってこと。で、現在の大学生を2021年(今年)とするなら、その親がその子と同い年の頃は、またその親が大学生の頃はと逆算してみたのだ。

で、最初の設定を1966年1月に持ってきた。
この頃はちょうど学生運動の真っ最中。全学連・全共闘と高度成長の日本に各大学から革命のアラシが吹き荒れていたのだ。
オレは1964年生まれだからこの頃2歳でそんな世の中は知らないはず、なのだがオレは池袋の要町で生まれ、要町におふくろの実家があった。
物心ついた時、近所に立教大学があり、中核派の建物もあったりで、近所でデモや機動隊を見かけることがよくあった。意味はもちろんわからない。
その後の東大安田講堂事件やあさま山荘事件をTVで見てもわからない。
そりゃ幼稚園~小1の頃で、TVのマネをして「キミたちは完全に包囲されている!」と叫んで親父にグーで殴られたが意味はわからなかった。

意味がわかったのは自分が大学生になった時だ。
飯田橋にある靖国神社の裏手の大学で、隣が逓信病院という立地。
『三里塚』の立て看板も勇ましく、飯田橋の学生会館は中核派、市ヶ谷校舎は民主青年同盟。逓信病院には田中角栄元総理大臣が入院中で機動隊常駐。

ある日登校すると校門に椅子や机が積み重ねられていて人が1人しか通れない。学園祭?と思いつつ中に入ると、学生会館の前にサーカスのような巨大なテントが設営されていて『風の旅団』という旗がたなびいていた。
意味がわからなかったが授業に出た。ちょうど出席を取り終えると、

『こちらは〇〇大学である。生徒、並びに教員はただちに下校しなさい。しない場合は関係当局により逮捕される恐れがあります。繰り返します…』

ロックアウトの校内放送であった。
「ま、そんなわけだから今日はここまで。」
先生は何事もなかったように教室をあとにしていった。

1980年代に大学でバリストとロックアウト経験した人も少ないと思う。
こうなってくると60年代の学生運動が何だったのか知りたくなってくる。
ちょうど東大安田講堂事件から15年の節目で全学連・全共闘の出版物があり、池袋の文芸坐でオールナイトで東大と日大の当時のドキュメントをやるというので観に行った。

こんなことが日本であったなんて…。衝撃だった。
『新宿騒乱』の映像なんてこれが日本だって思えない衝撃だ。

知りたいことがわかってオレは80年代のフツーの学生に戻ったw
いまさら学生運動する気もなかったけど、その後も卒業までバリストとロックアウトは繰り返され、在学中に一度も試験を受けたことがなかった。
なぜか試験の時にロックアウトなので、全部レポート提出で単位もらえたw

思い出話で本題がそれてしまった💧
そんなわけで時代背景は自分の中でイメージできた。
そして会話の中にその時代を組み込んで、次の時代次の時代と対比させようとしたのだ。

最初のキーワードは年賀状に下宿、電話、潰瘍。
年賀状は今やLINEやメールでその役目を終えようとしてる。
当時の学生は下宿住まいが当たり前。電話は大家さんの家で呼び出し。
家電にポケベルや携帯、スマホなんて当然ない。
インターネットはそもそもパソコンがないし、この頃は電卓もない。
ちなみにパソコンって最初はマイコンって言ってましたw
潰瘍はタガメットやガスターなんて薬がない時代だから手術で切るしかない時代でした。癌よりポピュラーだったかも。

自己批判、ノンポリ、リバイバル、異議なし、封切り、ナンセンス、ブルジョワ、一応当時の言葉だけど今でも意味は通じるんじゃないかな?
わからなくてもすぐ検索できるから今は便利だよねぇ…。

そして最後が大好きな映画の話。
007のサンダーボール作戦は1965年の作品だけど今見ても面白い!
で、当時の007の秘密兵器って荒唐無稽かと思いきや、今やそのほとんどが実用化されているから時代の先取りだったと気がつく。最近の007がイマイチなのは東西冷戦がなくなったのとアイテムのタネが切れたからと思うな。
で、時代の先取りといえば若大将!
スポーツ万能で夏は海でヨットにサーフィン、冬はスキーに海外旅行、エレキでバンドにスポーツカーと素晴らしいキャンパスライフを楽しんでいる。

けど不思議なことにこの時代の学生は学生運動に明け暮れていたはず。
なのにこの映画はシリーズごとに人気の作品となっていく。
で、バブルの時代と言われたオレの80年代の大学生がまさに若大将の映画と同じになっていたのだ。
団塊の世代と呼ばれた人たちの子が享受したのは若大将の夢だったのだ。

最後の網走番外地は当時の学生がなぜか任侠ものを観てたという話から。
このあとの東大紛争で橋本治の名コピー
『止めてくれるなおっかさん。背中の銀杏が泣いている』
と共に高倉健のイラストがイメージできるなら当時の人ですw

さて、ここですでに2000文字を超えた解説💦
続いては1989年1月である。(長くなったのでサラッと行きますw)

昭和天皇が亡くなられた1989年1月7日の夜のお話です。
この設定はオレの実体験です。
天皇陛下亡くなったんで喪を表すために看板の電気消して、とドラッグストアの本部から電話がありました。オレは店長でした。
向かいのハンバーガーショップは『ロッテリア』で、ちょうどオレが看板消してたらロッテリアの店長も消してて、お互い肩をすくめたのを覚えてます。日本中が喪に服していました。忘れられない情景です。

まだ戦後40年ちょっとで、激動の昭和を生きてきた方が大勢だったこともあり、日本中のテレビも喪に服して哀悼・追悼番組か昭和天皇関係のニュースしか流れていませんでした。
当然YouTubeなんかはなく、家ではTVしかないのでレンタルビデオはどこもなにも貸出中という事態になりました。
DVDなんてないですよ、まだ音楽CDが出たばかりで家ではVHSがベータ。
今でこそオンデマンドで好きな時に好きな映画見放題ですが、映画館で映画を見なくなった原因が家庭用ビデオデッキの普及でした。
その昔は映画館やTVで映画を必死になって観ていました。
見逃すと次いつ観れるかわからないからです。
そのせいか昔の映画はよく覚えてるけど最近の映画はすぐ忘れますw

いやぁ書き足りないこと書けてスッキリした('∀`)ノ!
本来は2021年1月編書いたほうが良かったのかもだけど、技量不足で本文に書ききれなかったこと書けてもうお腹いっぱいです。
それではまたお会いしましょう('∀`)ノ



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