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〈再現性〉を求める人は誰か

使えて初めて意味を持つ知識

知識獲得の目的は、その知識を活用することにある。
試験で合格を手にするには、獲得した知識を使って、1点でも多く点数をもぎ取る必要がある。
そのために、参考書でインプットをし、問題集でアプトプットを繰り返し、知識の定着を図っていく。
知識は、試験会場で再現されて初めてその価値を持つともいえる。

職場で求められる再現可能性

少し視点を変えて、仕事ではどうだろうか。
組織で働く人であれば、大半の勤務時間中は〈再現性〉を期待される。
例えば、営業活動を通じてうまくいった要因を探りあて、それを同じように繰り返すことで成果を上げる。
見込顧客との商談後、その日のうちに御礼メールを送るといった行動は、誰が証明した法則でもないが、一定の組織では信じられているふるまいなのだ。

企業は効率性を追い求めるあまりに、再現可能なふるまいを次から次へと要求し、成果の上がる運動のみを強要することも少なくはない。
結果、画一的、同質的な組織が作られていくということも避けられない。

この理屈から言えば、〈再現性〉を求める一人は、組織の管理者だと言える。

オンとオフ

一方、働く個人に目を向けると、生産性の高い人材として評価を上げたい人にとって、無駄な行動は排除すべき対象となる。
かといって、誰しもが仕事中に、無駄な行動を一切しないかというと、そんなことはないが。

ここで考えてみたいのは、仕事の価値が生産性であるとするならば、生産性を求められないオフの時間では、人は〈再現性〉を考えていないのかということだ。
好きな漫画を読んだり、映画を観たり、スポーツで汗を流しているときに、きっと生産性について考えている人は少ない。
「オン=効率重視」、「オフ=効率無視」と割り切れればすっきりするのだか、実態としてはもう少し複雑な気がしている。

オフにも生産性を求める人たち

リスキリングなどのブームにより、カフェでノートや参考書を広げている人を見ることが増えた。
決して悪いことではないし、自分もその一人ではないかと思っている。

何かを学ぶことによって、知識を獲得し目標を達成したいという人。
彼らとっては、ゴールが具体的であればあるほど、オフの時間も効率重視になっている。
オンでもオフでも効率性を求めて、一生懸命努力を続けられる人を本当に尊敬する。
ただ、競争を意識しすぎ、行き過ぎた先に体を壊したり、睡眠不足で仕事に支障をきしたりすることがあると、少し立ち止まることも必要に思う。

〈再現性〉から離れてみる

知識詰込み型の受験教育に対して批判の声は昔からあるが、私としては、特に若い時にはトレーニングとして必要だという立場をとっている。
スポーツ競技でも、ひたすら反復することで、技術が向上することも経験として知っているからだ。

ただ、社会の風潮として、あまりに効率主義的に再現性を求めていくことについては、疑問を感じ始めている。
人より早く答えにたどり着くこと、生産性を高め続けること、再現性に執着すること。
こういったふるまいと少し距離を置くことで、自らの頭で知識を再構成する思考力を養うことが、今後求められている気がする。

そう思うようになったのは、年齢を重ねてきて、記憶という装置が以前より衰えたことの諦念からなのかもしれない。

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