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超私的回顧録「不登校から舞台俳優を目指した」〜前編〜


小学3年生で転校した事をきっかけに
私は学校へ行けなくなりました

転校経験者はわかってくれると思うけど
初日の緊張感たるや
まあハンパない
知らない人だらけの教室で
とにかく見られる居心地の悪さ
休み時間になると囲まれて質問攻めにあって
その一瞬の対応でここでのこれからの
日々が決定すると言っていいほどの
潰れそうな恐ろしさ

その空気と
ものを食べる心境でないのに
出てくる給食
もともと少食で食べるのも遅かった私は
ほとんど手をつける事が出来ずに
初日を終えて
私は負けた

その後数日は登校できたのか
よく覚えていないが
玄関でランドセルを背負っても
お腹が痛くて気持ち悪くて
外に出る事ができなくなった

私の不登校生活が始まった

とはいえ
母にじゃあ今日は行かなくていいよ
と言われると元気になるのですよ

家に居て何をしていたか
覚えてないけれど開放感はあった気がする

担任の先生と養護教諭の先生だったかなあ
2人の先生のおかげか
少しずつ学校へ行けるようになっても
給食はダメで
掃除の時間で机を全部後ろに移動して
他の子が掃除してるなか
食べきれない給食をスプーンで
つつきながら
もういいから給食室に下げてきなさいと
言われるのを待ってた
昭和の学校というのは
完食が絶対だったので容赦ない
ここでも私は戦っていた
この経験から給食と言うものは
嫌な思い出しかない

不登校からどうやって抜け出したのか
あまり覚えていないのだが
やはり居場所が出来たことが大きかった思う

なぜか体が非常に柔らかかった私は
先生から器械体操部を勧められた
その小学校は部活として器械体操部があり
朝練まである程力を入れていた
いろんな技ができるようになる頃には
友達や部活の仲間ときちんと
学校生活を送れるようになっていた

ところが
6年生になる春にまたも転校する事に
なってしまう
おそらく親も心配したのだろうが
私はもう自分の周りにバリアを張るように
明るい、誰とでも友達になれますオーラを
撒き散らす技を使えた!

というかそうするしか
自分を守る事ができなくなってた
というのか正しいと思う
転校先には器械体操部はなかったし
打ち込めるものが無かったからかもしれない

こんなふうに書くと
そんなに深刻に
不登校だったわけじゃないじゃん
先生や学校に大して嫌な思いは無いんじゃないのと思われる方もいらっしゃるかもですが
すっかり大人になった後でも
今でも学校という場所と先生といわれる人たちのことは大っ嫌いなのです

その原因はおそらく
通った高校にあると思われます
昭和の
いわゆる躾に厳しいといわれた女子高というのがこれまた
とんでもないのですよ

次回この続きを書こうと思います

長くなりました
お読みいただきありがとうございます

回顧録なので
とりあえずこんな人生送れる奴いるのね
ぐらいで読み飛ばしてくださいませ
では後編で!

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