「自分が同じことされたらどう思う?」に潜む罠
円滑な人間関係を継続するために欠かせないもの、思いやり。
毎夜酒場におりますと、どうも、思いやりを勘違いしてしまった人をよく見かけます。
思いやりとは、相手の立場になって物事を考えることです。
このことは多くの方が知っているでしょう。
子供の頃、親や先生に叱られるとき、「自分が同じことをされたらどう思う?」と問われた経験、ありませんか?
自分がされて嫌なことは相手にしない。
大切な思いやりですね。
問題はこの後。
"自分はこれをされても嫌じゃないから、嫌がられても気にしない"
"自分はこれをされたら嬉しいから、嫌がるなんて心が狭い"
これは思いやりですか?
違いますね。
100人がされて喜ぶことでも、あなたがしたその人が嫌がるなら、それはすべきではないことです。
知らずに善意でしてしまって相手に指摘されたなら、素直に謝りましょう。
例えば、日頃のお礼に何気なくチョコを渡したら、「甘いものは苦手なので結構です」と断られたとしましょう。
この時どう考えますか?
"好みを聞きもせず失礼なことをしてしまった、何なら喜んでもらえるだろうか?"
それとも、
"好意で渡しているのに、断るなんて嫌な人!"
相手を思いやれているのはどちらでしょう?
当然前者です。
もちろん、断る方もスマートとは言えませんね。
では、何を考えて断ったのでしょうか?
"苦手だと伝えないと、今後もお菓子をもらってしまう。捨てるのも心苦しいし、誰かにあげるのも面倒だ"
"お礼のはずなのに、どうして嫌な思いをさせられるんだ?お礼と言うなら好みくらい調べるべき"
大体こんなところでしょうか。
「甘いものは苦手なので気持ちだけいただきます。わざわざお気遣いいただきありがとうございます」
断る方も相手を思いやってこれくらい言ってくれたら角が立たないんですけどね。
そうもいかない世の中です。
思いやりとは、相手の立場になって考えることです。
けれど、全く違う人生を生きてきた人が何を考えるかなんて、100%知ることはできません。
だからあくまで参考値として、"自分が同じ立場にいたらどう思うか?"を考えるのです。
本当に考えなくてはならないことは"その人が、その立場で、何を思っているか"です。
これを理解せずに、「自分だったらこうだから」を振りかざして相手の気持ちを考えない人が多いのです。悲しいことに。
特に男女関係で多いですね。彼氏と喧嘩して〜、彼女が不貞腐れてて〜、から始まる話の8割はどこかしらでこれが起きています。
「彼氏の誕生日に財布をあげたかったのに、彼は財布は高いのしか使いたくないからいらないっていう。確かに何十万もする財布は私には買えないけどさ、普通彼女がプレゼントするっていうんだから喜ばない!?」
さて、ここでも起きています。思いやりの勘違い。
"彼女として彼氏の誕生日を祝いたい。
自分だったら、彼氏が財布を買ってくれるなら、普段使うものから多少ランクが下がっても嬉しい。
だから、安物はいらないという彼氏がおかしい!"
本来の目的は彼の誕生日を祝うことのはずです。
何が喜ばれるか色々と考えて、財布をあげようと決めたのでしょう。
しかし、高い財布しか使いたくないという彼の気持ちを聞いたあとでも、自分だったら嬉しいから喜ばない彼がおかしいというのは、思いやりですか?
彼氏も彼氏ですね。
貰っても使わないのは彼女に悪いからいらないと言ったのでしょう。
財布は高いものがいいというポリシーはいいとして、プレゼントをくれるという彼女の善意に寄り添った断り方をすれば彼女の怒りももう少しマシだったはずです。
相手を思ってやったのに、なんで?
もしあなたがこう感じる時が来たら、今一度あなたの思いやりを振り返ってみてください。
自分基準の思いやりになっていませんか?
自分の考えと相手の考えが違ったのなら、相手を責める前に思いやりの本質を思い出してください。
人間同士、100%相手を理解することはできません。
だから、少しでも近づけるように言葉を使うのです。
責める言葉を使う前に、寄り添う言葉を使いましょう。
それが思いやりです。
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