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「組織に所属する」という選択は重い

何気なくした選択によって、時間の浪費につながることがある。
組織に所属するなら、少し立ち止まった方がいい。目標に向かって皆で進むからには、計画と方向性に沿う必要があるからだ。

人間関係の相性、意見の相違は、組織活動について回るものながら、余暇を楽しんだり、自己成長につながったりするから始めたはずなのに、仕事以上に心労がかさむ。

「心労」と捉えていること自体、まわりに流されている証拠だ。20年以上続けるため、簡単には辞められない。若い人たちに偉そうなことを語っておきながら、今さら自己を優先するわけにはいかないのだ。

時間と労力の対価

仕事であれば、成果に対して給料が支払われる。それに対して、プライベートの活動に費やす時間と労力の対価は何だろうか。

信頼、達成感、成長、人間関係、思い出…。人生の残り時間を考えると、投じた分だけの対価がほしい。利己的であることは認めよう。ただ、「今までやってきたから…」で続けていくことが正しい選択とは限らないような気がしている。

新しい刺激を求めている。同じ組織に長年所属していれば、ある程度先が想像できてしまう。時間の合間を縫って取り組んでいるものの、たんに「こなしている」だけだ。

疲れはあっても満足感はない。

トレードオフの関係

惰性を自覚している状態でも、参加すれば「楽しかったな」と思えるときもある不思議だ。これがあるから辞められない。厄介だ。

同じ目的に向かって進むことは、孤独になりにくく、流れに乗れば達成感も得やすい。「ここに行けば、話ができる人がいる」というのは安心感もあるだろう。

その代わりに、時間や労力を投じなければ、まわりからの信頼も得られない実に分かりやすいトレードオフの関係である。

「やってみなければ分からない」「成長できるから一緒にやろう」
以前のように、そう誘えなくなった。断言できるほどの確信がないからだ。

最終的に決めるのは本人。慎重になることで、食わず嫌いになるのはもったいない。ただ、何気なくした選択が時間の浪費になる可能性があることは、常に心に留めておきたい。