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私が手術を避け続けた理由


宗教を辞めて20数年経過しています。
もうあの日々は前世のように遠く。
私の人生は例えるならば、悪役令嬢が断罪されたようにガラリと舞台装置が変更された。
悪役令嬢家のルールで育てられた子供。それが正しいと思い育ったが、実際は違く腫れ物のように扱われる。

私には「実家」と呼べる場所がありません。私が高校生の時、宗教が原因で家族が崩壊し住む家も学校も失いました。ちなみに両親は健在ですが離婚しています。父は母に微々たる手切金を渡し、それ以降子供の私に経済的支援をしませんでした。
当時私は宗教を強制されていたため、学校にも満足に通えず学力がありませんでした。奨学金なんて夢のまた夢。世間知らずの母は騙され借金を作ってしまい生活費もギリギリ。「学費は自分で」と言われておりました。
これが携帯もネットもない時代、世の中を知らぬ10代半ばのころです。
どうしていいのか、ただ呆然とするばかりです。

バイトをして資金を貯め、大検を取り、通信制の短大に行き、昼は働きながら夜学の専門学校にも通いました。
文章に書くと数行のことですが。正直過酷。過労から何度もくじけそうになり、人生ドロップアウトしたい気持ちと常に隣り合わせ。10代、20代前半の心が追いつけるわけもなく。未成年の頃、宗教側の友達に誘われ施設に出入りしたこともあります。しかしここも違う……。

なので「宗教」について、とてもセンシティブ。
創作の中でもなるべく書きたくなく、避けていました。
細部が書けてしまい何かバレてしましそうで。
私は宗教と手を切っていても、いつもその影に引きずられていました。
前の記事で「私が手術をしたくなかった理由は、いくつかある」と書いていますが、はっきり答えを書くと、宗教と経済面(仕事)が理由です。

私が信仰させられていた宗教の教義は「手術」や治療を禁止していたからです。薬を飲んだりするぐらいは抵抗が無くなっていましたが、やはり手術となった時、最初に教義が頭の中に飛び出してきたのです。「地獄に落ちるかもしれない」何度否定し振り切ろうと、逃げてもリピート再生されるその思考。

また経済面でも手術を踏み切れずにいました。
当時の職場は、簡単に「休職して手術を」と言い出せる雰囲気ではありませんでした。パワハラ上司が万が一私の評価を下げたら、クビを切るなど言い出したら……。冗談ではなく。
同僚の女性が婦人系の疾患が苦しく在宅を希望したところ、クビを切られたか前例があるのです。仕事を取られたら……。

いまの私の支えは、自活している経済力。この1点。
何も無くなった私に新しい土台を作った仕事と、その報酬。
いまの家は丸々、私が働いて購入した物。その誇り。
それを奪われるのが恐ろしい。
寂しい人と思われるかもしれないが、何も隠さない自分自身なのです。

相談できる人もいない。
コロナ禍で家族以外と気軽に会える時期でもなかった。
母とは一緒に暮らしていますが、もう後期高齢者。年金が少ないため私が扶養しています。そして手術や治療の説明の中で、彼女も宗教の考えが抜けきれず、私に傷つく言葉を向けることがあります。
ダメ元で父にも相談しましたが、何度話しても手術をすると報告するまで、そこまで深刻だと理解出来なった人です。そして助けてくれたのは術後の車の送迎だけでした。家族は全滅。
時期が悪かったのか、全部ひとりで対応しなくてはいけませんでした。
いや、反対にひとりでやらなくてはならず、じっくり対応できて良かったのかもしれない。

2022年、私の体調は映画を1本満足にみることも出来なくなっていました。膀胱の上と腸側にできた筋腫が腹痛を起こし、頻尿に便秘と下痢の繰り返していました。いつ腹痛に襲われるか分からない。そのため食事も満足に取れない。体は限界が近い中、上司のパワハラで心の負担も限界突破。

――もういいや、こんな上司気にしている余裕は私にはない。そして、私の仕事を奪われてたまるか。

人事が上司の危険性を認識しはじめ、共に戦ってくれた同僚がいたため、私も戦うことができました。

今の私を知っている皆さんはきっと作り話だろうと思うかもしれません。いいえ、これが乙葉のダークサイド。

はじめて支援者の前で話した時、私は涙が止まらず。
それほど私の中での傷が大きかったのです。涙せずに話せるようになるまで時間が掛かりました。
こうやって書いているいまが本当に奇跡のようです。


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