モラトリアム少年

彼は恵まれた人間だったと思う。
大金持ちとは行かずとも、彼のしたいことは叶えてくれる両親がいて、私立の中学に行き、有名私大の附属高校に進学し、彼が高校3年生で美大に行きたいと行った時にはその訴えを了承し、予備校に通うことを許可し、無事に美大に合格した。
実家からそれほど遠くない場所にも関わらず、一人暮らしをしたいと訴えた時はその訴えに応じ、
くだらないことで警察のお世話になったその日も頭ごなしに叱りつけるのではなく、ヒアリング、
つまりは精神科医のカウンセリングのような形で彼の内側に秘めたる暴虐性を解き明かして見せた。
そう、彼は恵まれていた。
比喩ではなく金銭的にも、性格的にも恵まれた両親のもとに生まれ落ち、その地頭の良さから両親の期待に答えて見せた。
その期待は決して圧力的なものではなく、例えその期待に応えられなかったとしてもきっと優しく慰めてくれるであろう、と、そう思える。そんな恵まれた両親のもとに生まれ落ちた。
そして彼自身自分が恵まれていること、そして不出来な類の人間ではないことを理解していた。
だが、彼は漠然と、ただ漠然と死を欲していた。
それが何から来るものなのかはわからない。
ただ、漠然と死を欲していた。
彼は恵まれすぎていたのかも知れない。
退屈は人を殺す。「モモ」の作者ミヒャエル・エンデが書いた言葉だ。
彼は美大に進学した後、天才とは行かずともその地頭の良さから優秀な部類ではあった。毎日酒に呑まれ、二日酔いになりながらも大学に行き、趣味はギターとベース、バイトは週に一回。
彼は側から見れば楽しそうに見えた。ただ、どうしても、心の乾きは満たされなかった。刺激を求めて違法なものにも手を出した。
現代の太宰と呼ばれたかった。
いつ死ぬかわからない儚い、
真夏の蝉のような、
梅雨の前の桜のような、
そんな存在になりたかった。
しかし、彼には何もなかった。
死ぬ度胸もなければ、違法な道に突き進むほど自身の人生を可哀想にも思えなかった。
どこまで行っても彼は消費者だった。
彼自身それを理解していた。
美大に進学したのもそのきらいがあったのかもしれない。
側から見れば贅沢な悩みだろうが、彼にとってはそれは大変な悩みであった。まぁ、問い詰めたら大変な悩みではなかったと吐露するのかもしれない。
なぜなら彼は悩みがあることに憧れているところもあるのだから。
とにかく、そんな少年がいたことを、誰かに知ってほしい。


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