おもしろおかしく 中編の序盤?

こんにちは。
前回は准看護学校が新入生を募集しているところで終わりました。

ここから私の長い長…長ぇよ!っていう数年が始まります。


◯看護学校を受験? “全てをリスタート”

私はこのとき、本職の事務員と副職のコンビニ店員を生業として生きていた。

弟の学費を払ったり、車を買ったりして、散財はしたがある程度貯金はできた。

そこで突然、仕事場のお父さんから言われた『看護師』というワード。

たまたま見かけた看護科新入生募集のポスター。

いちかバチか、挑戦してみるか?と思ってしまった。

このことについては誰にも言わなかった。
誰かに止められるかもしれないし、職場で言えば辞めるかもしれない奴、になってしまう。

この頃、若さかな。
私には少しだけ勢いがあった。

  考えず、とにかくやる ”

意識はしたことはなかったけど。

私は学校に資料を請求して、試験科目を真っ先に見た。

『一般教養(国語・計算問題)、作文、面接』

…計算問題?どのレベルの?

ちょうど近い時期にオープンキャンパスがあったので学校に潜入、先輩たちが見学者に血圧を測ったり手浴をしてくれたりした。

私は先輩たちに受験について質問した。

“ 簡単な計算問題、どちらかというと面接や作文。書けていなかったり上手く答えれなければ落とされるよ。実際落ちた人は結構いる “

とのこと。

一見簡単そうに聞こえるが、私は面接が大の苦手。おそらく場面緘黙症の一部が残っているからだろう。

ほんまなんやねん、場面で緘黙って。黙んなや!

その足で卒業した高校に、内申表を取りに行った。

『あんた、何か帰ってくると思った…准看護学校ね、やるならやりなさい。』


私、勇者かなんかなの?


結果的に、勇者カトは合格した。

前日に風邪を引いてドラえもんの声になり『看護師になりたいのに健康管理もできないのか!』と言われるかと思った。

すんなり合格。

さようならブラック会社よ。

◯退職届け “拍手喝采でさようなら”

私は合格した翌日、退職届けを出した

社長はマジかよ、というような顔をしていたが気にしなかった。私はここでは死なないのだ!

ただ、せっかく育ててくれた先輩方に申し訳ないなと思っていた。言いづらかった。

最初は事務の女の人たちに伝えた。
一番立場が強いお母さんみたいな人が立ち上がって、拍手をし出した。

『良い決断、本当に良かった!』

想像外の反応で嬉しくて私はトイレで泣いた。

その次に現場の兄やお父さんに報告。
寂しそうやら、嬉しそうやら。
『受かったんか!!!!!』

コンビニのスタッフにも報告し、後日ささやかなお祝いをいただいた。

そんなこんなで私は新しい事務員さんに引き継ぎをして退職した。

セクハラ問題で引き継ぎの人が私より早く脱走。

カト

◯准看護学校 “肌に合わない空間”

私は見事、今までの自分とおさらばして准看護学校に入学した。

通学用に250ccのアメリカンバイクを購入。

余談だが、准看護学校と正看護師学校の生徒の雰囲気は大きく異なる。

正看護学校のほとんどが高校から現役ストレート入学。社会人は100人中3〜10人の割合しかいない、社会人にとっては狭き門である。

准看護学校はクリニックで働きたいような社会人が多い。子持ちがほとんど。午前中のみの授業だったり、子どもがいる人には通いやすい。

まぁ、みんな色々な事情で『准』看護師を選択する。

私は一番後ろの席だった。
隣の席はキャバ嬢で旦那あり子2人
右斜め前はオッパブ嬢でシングルマザー
左斜め前はクラブ嬢で旦那あり子3人

癖が強すぎる人に囲まれた。
意外にもすごく良い人たちで頻繁に4人グループで遊びに行ったし、この人たちの紹介で夜のバイトを始めたのだ。

キャストじゃなくて、ボーイで。
本当に苦手なんです。ただボーイでも普通のアルバイトよりかは時給は良かったのだ。

学校ではこの3人しか信用できなかった。

ものすごくクラスの雰囲気が悪いのだ。

男尊女卑の逆、そして陰湿。
女同士でも物凄い陰口、隠れたイジメが勃発していた。

大人の女を敵に回すとこんなにやられるの?ってくらい。そのせいで進級できないだろうなって同級生もいたし、雰囲気に耐えられなくて退学する人もいた。

そして、めちゃくちゃ校内ルールが厳しい。
教員は敵だった。服装も少しでも違えば呼び出し、下手したら停学。

結構、いや、
すっっっっっげぇストレスだった。

ここで過ごして気づいたが、私はとても平和主義なのだ。

どう生きたら30歳にもなって執拗に他人の人生を邪魔できるのだろうか。

なぜスカートではなくパンツで授業を受けたら呼び出しをくらうのか。

理解に苦しむ集団生活だった。

私も生徒同士のイジメや教員のターゲットになっていたと思うが、必死に生き抜いた。


ストレスはあったが、それ以上に『看護学』の勉強が楽しかった。

最初は私も『資格をとってクリニックで働く』を目標にしていたが、実習が始まる一年生後半ぐらいから考え方が変わった。

勉強が面白すぎて、もっと勉強したくなった。
さらには、初めての病院実習で総合病院に興味をもってしまった。

提携病院じゃないので実習は無視しまくられた。

カタ


陰湿な環境、勉強の楽しさ。
ちょっとだけ苦しかった。


『正看護学校に行ったら良かったなぁ』

「は?お前が?頭が悪いからここに来たんだろ」

と、同級生の男にバカにされてしまった。

まぁ確かに私はバカだし、准看からさらに三年制の正看護学校への進学は考えていない。なにより、そんな金がない。

次の病院実習が近いのに、なんでそんな無理なことを考えたんだろう、と心の扉を閉めた。

◯まさかの自主退学 “全治三ヶ月です”


私は実習前日、バイクでツーリングに行った。

片道1時間くらい、簡単な道、抜ければ一直線の橋と綺麗な海。

海を見ながら牡蠣を食べて、冷たい潮風を浴びながら帰る。

その帰り道、私はまだ考えていた。

明日は実習だ。
それが終われば2年生になる。
卒業したらどうするんだ?

ボーッとしていたんだろうと思う。


ゆる〜いカーブで歩行者道路に突っ込んだ。
(…そんなことある?笑)

道の駅なんてないくらい田舎だった。
歩道に人が居なかったのは本当に良かった。

いや、良くない。
私はバイクと共に転倒したのだ。

何が起こったのか全くわからなかった。
まっすぐ走っていたらいつのまにか寝転んでいた。

エンジンガードとポールがぶつかった。
その反動で身体が浮いた、勢いで身体が何回転かした。
その先で私のバイクがすごいスピードで回っている。

やらかしたー死んだわーーー。
恥ずかしい。

と、いう感情は読まれたくなかったので瞬時に立ち上がった。痛くないですよー。

友達は仰天していた。何で転ける!?と。

すぐに学校のオッパブ嬢に電話した。
『明日の実習休んだら留年!?』

「100パー留年じゃない?💦」

まずい、絶対行かなくては。

その次に母親に連絡。
母親は爆笑していた、電話を切った。

バイクは動かなくなっており、友達は知り合いを呼んでくれてバイクを回収してくれた。私は助手席に乗った。

アドレナリンが徐々に切れてくるのがわかった。
普通に痛いのだ。歩けるけど実習で階段昇降とか出来なくない?

事故を起こして5時間ほど経って帰宅。


服の上からでもわかるくらい腫れている右足。
右肩は上がらん。

笑っていた母親、顔面真っ青。

緊急病院に連れて行かれた。
着いた途端、車椅子と共に看護師が走って来た。

レントゲン検査室、パソコンと睨めっこしているドクターが『まじかよ…』と嫌な顔している。

(看護師になった今、先生の気持ち超わかる)
(深夜入院は本当に処理が面倒臭いのだ)

結果、

右鎖骨骨折、右經腓骨骨折

全治三ヶ月、
できるだけ早く手術が必要です。
このまま入院です。


留年!!!確定!!!

           完!!!!!

とはならぬ!!この時点で22歳!!
続編や!完とはならぬ!!

一度私はここで死んだのだ、生き返ったのだ。

カト

『学校、退学するわ』

待ち時間に母親に伝えた。

もちろん止められた。

翌日、学校には事故の件を伝えるとともに自主退学を願い出た。

もちろん、止められた。

ただもう考えたくなかった。
何回か教員と電話したり病院で話をしたが、揺らぐことはなかった。

私は入院中に自主退学の手続きを完了した。

とりあえず手術して、とりあえず正看護学校に合格することを考えよう。


私はこの頃まだ知らなかった。

襲いかかる地獄の日々に。

本当に私の人生は上がったり下がったりして、中途半端にやっていたら、こうやって落とされるのです。ただ、ちょっと選んだ進路に後悔があった。それだけでこんなに事故する?怖いよね。私の守護霊。もう少し優しくしてください。



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