人文書を読む(1) マンフォード、アンユム『哲学がわかる 因果性』(岩波書店)

変わらず読書を続けているわけですが、ふとしたことからインプットだけではなく、アウトプットを継続的にしていくことが大事だと思ったため、少しずつ読んだ本について紹介していきたいと思います。

というわけで一冊目にこの『哲学がわかる 因果性』を選んだわけですが、「因果性」の問題というと身近に起こっている事象とよく関わりのある事柄にもかかわらず、あまり正面から「考える」ことがない問題なのではないかと思います。実際、ドアを開ける、テレビの電源を入れる、といった極めて日常的な動きの中で、ドアを押したら開くだろう、とかテレビの電源ボタンを押したら画面がつくだろう、とかそれはある種「当たり前」のことで「考える」以前のところにあるような感じさえします。

その「当たり前」だと言えそうな「因果性」は、実は古代から哲学的な考察の対象になってきたのみならず、現在においてもなお、形而上学をはじめとする哲学のホットなトピックであるわけです。そして、今回取り上げる『哲学がわかる 因果性』は、OxfordのVery Short Introductionシリーズの一冊として書かれたものを翻訳したもので、現代哲学のトピックへの優れた入門書といった位置づけがなされそうです。

内容の検討

本書は、コンパクトでありながら10章構成で書かれており、テンポよく議論が進められます。訳者解説(p.163以降)で触れらている通り、主に前半はデイヴィッド・ヒュームの立場に関する検討、後半は「因果性」の捉えかたに関する様々な立場(物理主義、多元主義、原初主義、傾向性主義)の紹介と検討という流れで議論されます。

まず、デイヴィッド・ヒュームによる「因果性」解釈に関してですが、これは哲学史を学んだ方にはかなり有名な話でしょう。高校の『倫理』などでは経験論の主張者としてさらっと触れられる程度の哲学者なわけですが、(教養的なレベルのものを含む)大学の哲学史の講義や教科書では、経験論の文脈での主張が検討されるとともに、後の哲学者、カントへの影響という文脈でも取り上げられます。

さて、ヒュームはどのような主張をしたのでしょうか。非常に単純化すると、ヒュームは「因果性」が実在しないという主張をしたと言われます。つまり、ドアを押してそれが開く際に「因果性」なるものは感覚的に捉えられないというわけです。そして、我々が「因果性」なるものを認めるのは、出来事が(だいたい)いつも連なって起きているからにすぎないからだと主張します。つまり、ドアの例だと、ドアを押すといつもドアが開くから、ここには連接性があるのだと考えられます。

このようなヒュームの主張はかなり「尖ってる」感じを一見して受けますが(少なくとも個人的には)実際、その後の「因果性」を巡る議論にも大きな影響を与えていきます。主に本書の前半ではこの議論が扱われるわけです。

一方、先に見たように本書の後半では、主にこのヒュームの立場に対立するような異なった「因果性」の捉え方について紹介、検討がなされます。その中でも例えば「原初主義」は「因果性」とは「最も基礎的で基本的なものごとの一つ」(p.113)だと主張します。つまり「因果性」とはそれ以上分析的に解釈していくことが困難な、我々にとって「基礎的」な概念であると主張するものです。こう主張することによって、因果性を分析的に定義付けようとすることの困難さから解放されるわけです。先にも列挙したように、本書では他にもいくつかの立場が取り上げられ、それぞれの主張が意味するところと、関連する論争点についての検討がなされます。

どう読んだか?

読んでいて印象に残るのは、かなり抽象的で高度な議論が展開されている(ように少なくとも感じる)のにもかかわらず、そのコンパクトさもあって手軽に読めてしまうということです。これは本書を手に取る大きなメリットでしょう。ついでにメリットという文脈で言えば、完全に網羅的ではもちろんないにせよ、「因果性」を巡る様々な立場や問題がコンパクトな中に多数取り上げられていて、この分野における議論がどのようになされているかを概観することもできます。

では、本書は狭い意味で「因果性」という問題を考えてみたい人にとってだけ有用なものなのでしょうか。この点については「そうではない」と主張できそうです。なぜなら、本書は(主に現代の分析的な)哲学的な論争がどのようになされるかを知ることができるのみならず、哲学史的な目配り(ヒュームはもちろん、ソクラテス(!)、アリストテレスからウィトゲンシュタイン、ラッセルまで有名な哲学者に関する検討がある)もなされており、これがただひとつの哲学的な議論や検討ではないにせよ、哲学の具体的な営みへの招待となることができそうだからです。ちなみに、関連して言えば、個人的にはソクラテスが本質主義で、アリストテレスが(四原因説より)一見多元主義者に見えるという整理は分かりやすく感じたところです。

いわゆる「哲学入門」としては少し難解で硬すぎると思う向きもあるかもしれません。しかし、問題をどのように捉えるかという方法的な側面で哲学の営みを実感し、理解を深くしていくためには、哲学の議論の「実際」に直接触れるのがやはりいちばんでしょう。そのような目的からすると、本書はかなり適していると考えられそうです。

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