人文書を読む(5)内村鑑三『宗教座談』(岩波文庫)

 内村鑑三といえば、近代日本のキリスト者として、新島襄、新渡戸稲造らとともにその代表者と目される人物ですが、実はその信仰のスタイルはかなり(表現的に適切かどうかはわかりませんが)特異なところがあります。俗に「無教会主義」と言われたりするわけですが、今回取り上げる『宗教座談』で「教会」に関する内村の率直な考えも述べられています。

 内村の著作というと『代表的日本人』などが有名ですが、『宗教座談』はあまり著名ではないかもしれません。この『宗教座談』という著作は以下で簡単に紹介するように、キリスト教信仰に関する問題について語ったものですが、『代表的日本人』などと比べると少しキリスト教色が強すぎるように感じられるかもしれません。

 しかしながら、直球で自身のキリスト教信仰について(しかも平易な言葉で)語っているだけあって、コンパクトながら内村の考えや立場を理解するのにはとても読む意義のある一冊となっています。

 構成としては全十章からなっており、順に「教会」、「真理」、「聖書」、「祈祷」、「奇跡」、「霊魂」、「復活」、「永世」、「天国」(これのみ(上)(下)構成)を簡潔に論じています。

 どの章も内村自身の考えが前面に出ていますが、特に冒頭の「教会」の章は彼がなぜ「無教会主義」と呼ばれる立場をとっているかの説明になっています。内村によると、教会は端的にいって本来の目的である「救済」以外のことをしすぎるのだそうです(p.14)。もちろん、教会の中で信仰生活を送っている人間からすれば反論があるでしょう。しかしながら、内村が自分の立場を自分なりの根拠に基づいて選択していることがわかります。

 また、本書を読んでいて最も印象に残ったのが、内村鑑三という人物のある種の誠実さです。現代社会においてキリスト教信仰を考える際に避けて通れない、科学と信仰の間の問題や、また「奇跡」をどうとらえるべきかなどの問題について、率直に考えを述べています。「私もまた人の復活したのを見たことがない」(p.91)とはっきり述べるくだりなどは、特にその内村の誠実さを感じるところです。

 本書は、ここで簡単に紹介したように、キリスト教信仰の問題を論じているため、非信者にとってはややとっつきにくいところがあるのは否定できません。しかし、内村鑑三という人物の考えと人柄に触れることは、信仰を持っていない人間にとっても、決して無意味なこととは言えないのではないでしょうか。

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