人文書を読む(2) ベルナール・ブルジョワ『ドイツ古典哲学』(白水社, 文庫クセジュ)

哲学の本場といえばドイツ。特に日本で哲学を学ぶ人にとってはそういった意識を持っている人が多いということが言われます。そのとき、頭に浮かぶ哲学者は誰でしょうか?おそらく、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガーといったところなのではないかと思います。

本書は、そんなドイツの哲学の歴史を、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルのいわゆる「ドイツ観念論」の哲学者を中心としつつ、それ以前の時期にもかなりのページを割いてコンパクトに概説します。

内容の検討

本書は二部構成になっており、第一部が「ドイツの前哲学からドイツの古典哲学へ」となっており、第二部が「ドイツ古典哲学」となっています。第一部の「ドイツの古典哲学」と第二部の「ドイツ古典哲学」が紛らわしいですが、主に前者はライプニッツや「啓蒙主義」の哲学をさし、後者は「ドイツ観念論」の哲学を扱っています。

第一部の前半「ドイツの前哲学」では、主に前近代の時期のドイツの哲学が取り上げられます。エックハルトやクザーヌスといった宗教哲学の文脈で論じられることが多い哲学者が取り上げられ、続いて著名なルターの哲学なども検討に付されます。続く第一部後半では、先にみたように「ドイツの古典哲学」としてライプニッツなどが取り上げられていますが「ついで」に触れるという感じではなく、それなりに紙幅を割いて解説されているのが特徴です。

第二部「ドイツ古典哲学」は分量的にも内容的にも本書の中心となる部分ですが、カント、ヘーゲルを中心に、かなりバランスの取れた見方で「ドイツ古典哲学」を解説します。

どう読んだか?

何度も触れていますが、やはり本書の特徴はいわゆる「ドイツ観念論」だけにとどまらず、より長いスパンでドイツ哲学の歴史をたどっていることです。普通哲学史を勉強すると「ドイツ観念論」はともかく、ライプニッツ→カントという流れで哲学史を見ていくことはあまりありません。カントの「コペルニクス的転換」により、この両者の間に大きな断絶(というといいすぎですが)があるのは間違いありませんが、普段はあまり検討されないような流れで哲学史を見ることができます。

また、かなり薄めの本にも関わらず、バランスが取れ、的確に概説がなされているゆえ、この先(ヘーゲル以降)に関しても「読みたい」と思わせるような記述になっています。そういった意味で「文庫クセジュ」の一冊としてはかなり良くできているのではないでしょうか。

最後に、フィヒテの個所を読んでいて「自由」の問題が取り上げられており、英米系の思想家の文脈で「自由」を考えがちな自分にとっては新鮮な検討でした。哲学史を振り返るということには、自分が気付いていない議論を「見つける」のにも役立つのかもしれません。

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