人文書を読む(4)田辺元「哲学の根本問題」(岩波文庫『田辺元哲学選Ⅲ』所収)

 新たにバイトを始めたりしたため、前回の記事から少し時間があきました。今回は、いわゆる「京都学派」に属する哲学者のひとり、田辺元の文章を取り上げてみます。

 京都学派というと、高校『倫理』の教科書で西田幾多郎が取り上げられるほか、三木清や九鬼周造といった面々が有名です。そういった意味で、今回取り上げる田辺元という哲学者は(語弊を恐れずに言えば)やや「地味」で、近代日本の哲学に興味のある方以外にはあまり注目されないかもしれません。

 しかし、田辺は大学でのポジション的にも「京都学派」の系譜的にも、西田幾多郎の「次」に位置づけられる存在で「京都学派」のみならず、近代日本の哲学に注目する際には避けて通れない人物です。

 田辺には重厚な内容の文章が多いような気がする(個人的に)のですが、今回は「哲学の根本問題」を取り上げます。この文章は文庫巻末の藤田正勝氏による解説でも触れられているように、哲学の専門家ではない聴衆に向けてなされた講演がもとになっています。文章も語り口的には講義体のため、一見平易に読めそうな文章という印象を受けます。しかしながら、内容はかなり硬派です。

 内容に関しては、4つの章から構成されており、最初の章では「哲学概論の課題と限界」と題して、いわゆる哲学概論の持つ性質などが扱われます。次の章は「哲学諸部門の相互進展と哲学史の発展」で、哲学史を学ぶことの意義や、自分で哲学することの重要性などについても触れられています。

 後半の2章はどちらかというと各論的な内容になっていて、第3章は「歴史の弁証法と科学哲学における無の自覚」という題で、田辺本来の専門(?)である科学哲学的な問題が扱われます。第4章は「マルクスの理論, 唯物弁証法の限界, ・・・」というタイトルになっていて、教条的なマルクシズム
の立場からはやや距離をとってマルクスの思想の検討を行います。

 そんなわけで、単純な哲学入門としては、内容は盛りだくさんだし、内容も高度なので、ややとっつきにくい印象です。しかしながら、それゆえの良さもあり「哲学する醍醐味」といったら大げさですが「哲学」という営みがどのようなものかということに対するヒントを与えてくれる文章になっているように感じます。

 また「矛盾」や「無」、「自覚」などいわゆる「京都学派」的なタームが多数使われている感じは確かに受けますが、それよりも全体を通して感じるのは、ヘーゲルとマルクスが田辺(および近代日本の哲学)に与えた影響の大きさです。読んでいると、あまりにもヘーゲルやマルクスの議論を前提にしすぎているのでは?と思うようなところもありますが、それは逆に、特に田辺がマルクスという哲学者の思想に真摯に向き合うことの必要性を感じていたということなのでしょう。

 最初の一冊としては少し硬派すぎるような印象もありますが、それでも読んで得るものの多い文章です。

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