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ヒューマントークVol.2

こんにちは!ヒューマングループnote編集担当 朝永です。

先週から掲載がスタートしたこの「ヒューマントーク」!ついこの前にVol.1を投稿したような気がするのですが・・・1週間ってはやいですね(笑)

今回は日本火山学会会員・長崎県地学会会員兼雲仙岳災害記念館にお勤めだった、西村 暉希様とのトークを2003年ヒューマンニュースレターに掲載した当時の文章で掲載いたします。


ヒューマントークVol.2 「毎日が本番の人生」

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<ヒューマンニュースレターVOL.7(2003年3月発行)より転載>

日本火山学会会員・長崎県地学会会員 西村 暉希 様
ヒューマングループ 代表取締役 内海 和憲

内海:西村先生とは佐世保南高校に校長に赴任して来られた時、丁度私が育友会の役員をしていたご縁でお付き合いさせていただいております。
先生が今まで教育の道を仕事としてこられた経緯を教えていただけますか?

西村:なぜ教師になったかと言いますと、中学校~高校の時代に良い先生と巡り合い、人の出会いがあったからこそ教師になれたと思います。理科が子供の頃から大好きで、理科そのものが遊びでした。

内海:最初教師になられた10年間はいかがでしたか?

西村:楽しかったですよ。長崎北高校で理科が好きな子供と地学を通して遊んでいました。

内海:教え子の方々の中には科学で活躍されている方もいらっしゃるそうですが、その当時の生徒だったのですか?

西村:彗星発見者百武君もその当時の生徒の一人です。生徒たちは色んな興味を持っており、色んな可能性を潰さなければ立派に育ちます。育てようとは思わずに、潰さないことが延ばすことに繋がります。

内海:教師になられて10年~20年間はいかがでしたか?

西村:長崎に12年、その後地元島原に6年間おりました。自分の母校の後輩ということもあり、この時の生徒に卒業式前日「20年後の私」という題で作文を書きなさいと宿題を出したことがあります。2000年に封印をとく約束で。その作文を読みますと、20年後作文に書いたそのとおりの職業についた子供が以外と多いのです。書くことによって自分の目標をしっかり描いてイメージとして残っていたのでしょうね。
そのときの生徒で約10名が教師になっております。その子供たちはほとんどが作文に教師という職業に就いていると書いていたわけです。
その後対馬へ赴任しました。ここも良かったですね。転勤すればその地域でしかできないことをすべきだと思ってます。対馬では車をアウトドア用に乗り換えて、人が行かない山の行き止まりまで9割以上走り回りましたね。その後教育センターや教育委員会本庁へ異動しました。ここは県下の学校の問題点が全部集中してきますので色んな仕事を経験しました。赴任してすぐ電話応対をする訳ですが引継は無いも当然でしたが、永久保存版のファイルはきちんと整理されておりましたので、ファイルを確認しながら返答ができましたね。

内海:当社は人事異動はありませんので、業務のデータは人の頭のなかにあり、人に業務がついている状態です。人事異動があるからデータファイルがしっかりしているのですね。

西村:学校行事などで去年した業務はマニュアルがありますのでまた同じことをそのままやりたくなります。その方が楽なので楽な道を選ぶのです。
お笑いの吉本興業の人事の方が「人間も賞味期限がある」と話されてました。これまではこうやっていましたと頑固に言い始めたら、創作性・創造性がなくなった証拠といっていましたね(笑)転勤は最大の研修だと私は思っています。否応無しに新しいことを学ぶからいいのです。


内海:その後管理職として教頭先生・校長先生となられますが、今までと違った立場となりますが、その辺はいかがでしたか?


西村:猶興館高校で教頭を経験、そのときに猶興館創立110周年記念イベントの企画など率先してしましたが全体をまとめるということはすごく大事でしたね、学校というのは教頭がしっかりしていないといけませんね。
会社は社長トップが動くのではなくセカンドが動きます。教員の世界も同じです。
組織も民間と同じです。部署を変えるとそのときは混乱し一見無駄なことのように見えますが、長い目でみると大変良い事です。セカンドを育てるということが組織を活性化させることと思います。
セカンドを育てることは自分を脅かすことではありません。

内海:最後の赴任先佐世保南高校での3年間で感じられたことは何でしょうか?


西村:生徒達が素直ですごく良かったですね。地域が南高を愛しているというそんな感じがしました。また自主性を大きく受け入れていますね。伝統が引き継がれているのでしょうね。


内海:現在はどういったお仕事をされているのですか?


西村:昨年の4月から雲仙岳災害記念館にいるのですが、雲仙の災害を後世に伝えることが私の仕事です。すでに今の中・高校生がこの災害のことを知らないものがでてきたということもあります。
ただ伝えるということではなくて、自然があってこそ人間も生きていけますので、火山学習・自然学習を楽しみながら学んでほしいと思っています。ここは単なるテーマパークではなく、学びの場と設定されております。


内海:最後に教育に携わってこられて、子供をおもちの親御さんにたいして何かメッセージがあればお願いします。


西村:毎日が本番の人生、練習の人生はない。
これは私が好きな言葉なのですが、人生において練習はありません。このひとときも繰り返しやってこないのです。


※西村 暉希 様プロフィール
長崎県有明町出身
2002年:画集「すき勝手スケッチノート・・・わたしの旅紀行」
     随想「錆の集」毎日が本番の人生


朝永のつぶやき

最後まで読んでいただきありがとうございます!ここからはトークを読んだプチ感想コーナーです(^-^)

今回は、理科や科学のお話から西村様が体験したお仕事ことなど様々なお話をされましたね!お話の中から、自然をとても愛している方だというのが伝わってきました(*^o^*)

今回のトークのタイトルにもなっている「毎日が本番の人生」

この言葉を見て、何気なく過ごしているこのときも、もう二度と来ることはない「本番」なのだということを強く感じました。

常に本番だと思うとなんだか「頑張ろう!」という気持ちが湧いてきます!皆さまも何気なく過ごしている毎日をもっと意識して過ごしてみるのはいかがでしょうか?

それでは今回はこの辺で!また次回お会いしましょう♪

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