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地球一周の意味と無意味

30歳と36歳で、地球を二周した。
1回目はまだしも、2回目はもはや完全に若者とは呼べない年齢で、地上のすべてをストップして3ヶ月あまりの船旅をする。そのことが人生に与えた影響について振り返ってみたいと思う。

私は「人間の種類」ということをよく考える。
性別、世代、役割、性格、本を読むか読まないか、体型、容姿、年齢、障がいの有無、家族構成、食習慣、能力、宗教、経済力。ありとあらゆる人間を種別する境界線の中でも、比較的太いものに「国籍」があるのではないかと思う。どの国のパスポートを持っているかという事務的な種別以上に、国籍には国民性や食の好み、地理、時には宗教や人種がひもづく。

ただ、島国である日本にずっといると、国籍という太い線が見えなくなる。そうなると、太い線の中のもっと細かい線が太く見えてくる。地球を二周すると、国籍という太い線が認知の基礎に入るので、細い線は細いまま見えるようになる。このことは、私の人生に影響を与えていると思う。

中東のオマーンという国に行った。私が乗船した船旅は、世界的な観光地も行き先に含まれているけれども、バックパッカーならわざわざ選ばないであろう国にも訪問するスタイルだった。なので、ピラミッドやパルテノン神殿やマチュピチュにも行ったけれども、例えばオマーンというアラビア半島の小国にも行った。観光の目玉がないと尚更、その国の道を行き来する人びとの肌の色や顔立ち、空気の色や質感の違いが際立って印象に残る。オマーンには、肌の色が濃く、顔立ちも中東系というよりアフリカ系に近い子たちもいた。そのことが、似たような顔立ちの人だらけの日本から来た私にとても多くのことを気づかせる。

アフリカと陸続きで、アラビア海を挟んでインドとも隣国のオマーンには、歴史的に多くの人種が往来してきたのだろう。だから、当たり前のように混ざり合って一様ではない。同時に、厳格なイスラム国家らしく、女性はすべからくヒジャブを巻いていて、目しか出していない女性や目すら隠している女性も多かった。街場の食堂にも、女性が家族以外に顔を見せずに食事をするための個室が備わっていた。人種や国籍以上に、宗教が力を持ち、人びとの生活に染み込んでいるように見えた。

世界は、日本とは一線を画して思いのほか混ざりあっているかと思いきや、やはりキッパリと分かれていると実感することもあった。一周目のとき、ベトナム→シンガポール→インド→エジプト→トルコときて、ギリシャに入った瞬間にすべてがガラリと変わったことがはっきりとわかった。すべてが欧米的になり、自分が細胞レベルで安心するのを感じた。自分が西洋化された国で生まれ育った人間だと、国籍とはまた別の太い線の存在と、その線のどちら側にいるのかを深く自覚した。

キッパリ分かれているけれども、世界共通のこともある。多民族国家シンガポールは、街のあちこちにモスクとヒンドゥー教の寺院と仏閣と教会が混在し、存在感を放っていた。マダガスカルのような貧しい国でさえ、祈る場所はよい場所に美しくつくられていた。人間は生まれつき祈るもの。祈らずにはいられない精神的な生き物だと理解した。

体ごと異国に移動し、地面を踏んで視界にあるものを見渡したが最後、自国を相対化せざるをえない。日本を離れて合計30カ国あまりを巡って横浜港に戻って感じるのは、モノがありすぎる日本の姿だ。横浜が都市だからというだけではない。田舎に行っても道路があり橋がありコンビニがある。ありすぎる日本から離れて、日本よりモノがない世界にいくと、「ない」から「ある」に至った理由を押し測る思考が生まれる。

日本がモノづくりで国を立て直したのも、戦後復興の戦略云々の前に、わたしはただ単にせっせとモノをつくるのが好きな人種だからではないかと思う。豊かな自然環境に支えられて、せっせとモノをつくる余裕があったのだと思う。わずかな平地に密集して住んで、せっせとモノをつくる。箱庭のような、けなげで愛らしい国の姿を透かし見る。そういうキャラみたいなものがどの国にもあって、つぶさに知れば知るほど、生きる世界は豊かになっていくし、知れば知るほど、他国も自国も好きになる。

そういう原則を体に染み込ませたことが、その後の人生をずっと豊かにし続ける。日本人であるというアイデンティティが生きる上で意味を持ち始め、彩られて感じられる。

「多様性」だったり「Diversity and Inclusion」というお題目が、今やこれからの時代の価値観として取り上げられるようになっている。多様性に価値観を置いて何かしようとする時に、まず初めに分けて、差異や優劣に注目する行為を選びがちに見える。でも本当は、まず初めにその土地の地べたを踏み締め空気を吸い景色を見渡してから始めたい。物理的な土地だけでなく、同じ日本なら、その人の人生の景色を知るところから始めたい。同じところが多々あることを知り、その上で違いを知り、知るほどに好きになること。相手との「同じ」と「違う」を知ることで、自分自身のアイデンティティの認識を深化して進化させること。その自分だからできることに気づくこと。

話はそれからだ。

こうして、最初の北半球一周から12年、2回目の南半球一周から5年以上の月日が経ってなお、いや、時間を置いて熟成し、同時に世界や社会が少しずつ変わってきたからこそ、言葉になった気づきを糧に、これからの世界と人生を生きていく。

地上のすべてをストップすると、一時的に年収が下がるけれども、出発することには、やはりとてつもなく大きな意味があると思う。

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