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人生の更新頻度

※写真は姪っ子甥っ子との癒しのひととき❤︎

私の人生、更新頻度が高いと思う話を書きます。

娘が妻になり母になる、とか。女子高生から女子大生を経てOLになり管理職になる、とか。人生には、一般的に言われているライフステージの変化とは違う、更新がある。

2022年の私は、すごく無理を通したと思う。
上場を目指す東京のベンチャー企業ににリモート業務委託でjoinしたり、公的機関の縛りの多い仕事をボリュームたっぷりにこなしたり、ホテルの立ち上げにブランディング担当として全面的に伴走したり。自らも起業しようとセミナーに出まくって事業プラン考えたし、これまでにない立場で仕事相手と関わり関係性を模索したし人材募集もした。自分自身の地面に根を張った起業をするために記憶や経験の海深くまで潜ったり、人前で訴えかけるようなプレゼンをしたり。内面ではずっとずっとズーーーーーーっと「私の事業はなんなのか」を、考え続けている。取材したプロジェクトがあまりに素晴らしいので、その場で営業するなんていう初めてのこともした。それがどんな未来に繋がっているのか、ビジョンを描こうともがきながら、それら全てのことをやり通した。本当に偉かったと思う。頑張った。

人生を更新する時というのは、今まで自分を取り囲んでいた目に見えない輪っかを広げる時。どうしたって未知の領域に足を踏み出さざるを得ず、そこが沼地なのか薄氷なのか吊り橋なのかも、見ているだけではわからない。自分の足で一歩踏み出してみることでしか確かめられない。だから、どうしたって不安だし自信がないし辛い。でも、私はやった。そしてわかったことがある。

志を共にできる人たちとでなければ、仕事はどこまでも辛くなるということだ。生活やプライドやお金儲けのためだけに、ないしは、誰かに言われたからというだけの理由で仕事をしている人との仕事は、本当に辛い。エネルギーが吸い取られていくばかりで、何も実らない。

志を共にできる人たちとの仕事がすぐそばにあると、その虚しさはなおのこと際立ってしまう。そして、最終的にやっぱり後味の悪いことになる。私には取り繕う術がない。

では、志とは何か?
志は、「好きなこと」や「得意なこと」とは別の話だ。
むしろ、やむにやまれず手を伸ばしてしまう、足を踏み出してしまう業に近いところにある。
その何かから、振り払おうとしても振り払えない、じっとりとした視線を浴びている。
志とは、志の方が先にあって、それが私を選んだと感じる何か。

その人が今やっているそれは志なのか。
この問いよりも目先の金銭を優先させると、辛くなる。
私はそういう人間だ。

今回の更新は、もうそういう人としか付き合いたくないとわかった更新。
人間関係の更新です。

では、私は。
私は一体何から、じっとりとした視線を浴びているのだろうか。
平和と人権、網の目の世界だ。ドロドロとした人間くささの間にある
奇跡のようなつながりの世界。皆がフラットで、必要である世界。誰も取り残さないなんていう上から目線の世界ではなくて、誰も取り残「せ」ない世界。ありがとうが循環する世界。

そんな世界から視線を浴びている。多分、生まれた時からずっと。


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