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丸山、不登校を語る(前編)

※2020年度と2021度の2年間、メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』のバックナンバーから厳選した100本の掲載文(コラム)を転載してきましたが、2022年度からは『ごかいの部屋』掲載文にかぎらず過去に書いた文章を毎月1~2本、時系列に転載することによって私の自称 “体験的不登校・ひきこもり論” の進展をたどりながら理解と対応の参考にしていただけるよう進めています(執筆時から年数が経っていることで修正する場合があります)。

※2022年度からは「原則として2年前までの文章を転載する」という方針で更新しており『ごかいの部屋』掲載文にかぎらず30年余り前の文章から選んで時系列に転載を進めてきました。そして現在はだいたい2年前の文章を掲載しています。今月は2年前の『ごかいの部屋』掲載文を転載する月回りですが、2年前に転載予定だった12年前のニューズレターの記事が発見できなかったため、翌月に開催するイベントの広報になる内容だった当月の掲載文を転載してしまいました。そのため今月は、他サイトのインタビュー記事の一部を転載します。

※ひきこもり分野やその周辺分野にたずさわっている人をインタビューするサイト「インタビューサイト・ユーフォニアム」を運営している、私も長年懇意にしている杉本賢治さんから8年前に受けた受けたインタビューの、不登校について語った部分をさらに編集しています。

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こだわりには2種類ある

丸山:スタジオを始めた当初は、それまで見聞きしたり本を読んだりしている中で、本人が常識から解放されて動けるようになり、本人が元気になっていく過程を親が見て「そうなのか」と。これは自分が常識にこだわっていたから本人が動けなかったのかと。これは自分も学校へ戻さなくちゃいけないという常識は捨てた方がいいんだな、という風に思える。あるいはほぼ同時にというか、親御さんが常識から解放されるとお子さんも元気になっていく。そういう関係をよく読んでいたりしたので「ああそうか。親御さんが常識から解放されれば本人もじき解放されるんだな」と。あるいは逆に本人が先に解放されることで親御さんはハタと気づくケースがあるんだなと思ってずっと相談を受けていたりしてたのですけれども。ところがですね。ふだんの相談業務とか、あと合同進路相談会なんかでも相談ブースを出させていただいたりして相談受けたりしてると、実はそういう親御さんが最初の頃から結構いらっしゃるんですよね。「自分はもうとっくに常識から解放された」という親御さんがね。

杉本:ほう。

丸山:だから本人にも学校に行かなくてもいいと思っている。それでも本人が「自分は学校に行かなきゃいけないのに行けないんだ」ということで悩まれている。

杉本:あ、本人の方が?

丸山:ええ。本人のほうがもうず~っと。親は自分が常識から解放されてるから本人への見方も明らかに自分は変わっているんだと。だが本人はいつまで経っても前の、元のまんまなんだと。そういうことでどうしたらいいんでしょう? というお悩みがときどき聞かれるんですよ。

杉本:へえ~。

丸山:それについていろいろ考えていくと、どうもこれはよくいわれるこだわりが強いから本人がなかなか変われないというけれど、そのこだわりって一般的には自分のこだわり、つまり自分が過去の経験にこだわっていたりとか、何か昔、親に何かされたとか。

杉本:うん、トラウマですね。

丸山:昔いじめられたとか、そういうことで学校に行けないんだとか。そういう風な、周りに自分の中でしか通用しないと思われてしまうこだわりというのですかね? 周りは「そんなことは過去のことじゃないか」「そんな些細なことにこだわって」と言ってしまうような「こだわり」ですよね。それが一般的に「こだわりが強い」ということを指すと思うんですけれど、でも実は本当に言われていないのは、そしてどの本を読んでも書かれていないのは、本人の「常識へのこだわりが強い」ということ。これがどこにも書かれていなかったと思うんですよ。僕が読んだ限りでは。なので、もしかしたら問題なのはむしろ、そっちのこだわりが本人にとって難しいのではないかと。つまり思ったのは、こだわりには二種類あるんだということ。一般的に言われるこだわりというのは自分へのこだわりの一種類だけだけど、本人が「常識」というものに対してこだわっているその「こだわり」。この2つめのこだわりを同時に本人が持っているんだな、ということに思い至ったということでしょうか。

杉本:親が常識を、意識的にか無意識的にか植えつけてるんじゃなくて、子ども自身が世間の常識のこだわりを自分から引き受けちゃっている。まあこれは(おとなの)ひきこもりの話なんかではよく聞く話なんですけど、「自罰感情」とか「自己否定感」とかで聞くんですけど、やっぱりそういうものを子どもが引き受けちゃってると。

丸山:そうですね、ええ。

杉本:ふ~む。その原因は何でしょう?やはり世間の常識感の強さに起因するものでしょうか?

丸山:そうですね。やはり大きくいえば社会状況、時代状況があると思いますね。生まれてから人間って大人を通じて常識とか社会通念とか価値観を取り込んでいってるわけですね。

杉本:そうですね。

丸山:それは結局ね。親という大人に育ててもらう、養ってもらう以上、やっぱり人間は親の元に居場所を確保しないと生きていけないので、こう、押しつけられたわけじゃなく、自然に無意識的に取り込んで育っていくんだと思うんですね。だからその結果として自分で作り上げている自然に作られた価値観というものがあって。10何年とか、20何年生きてきて、今さら捨てられない。今さら否定できない、というね。それを否定するというのは本当に自分が生きてきた10何年間、20何年間を否定することになるということですね。それくらい本人にとっては重大な事柄だと思うので。

杉本:う~ん。別の道があるよとか、オルタナティヴな方向とかって頭では言ってみたところで、そう簡単に変われるもんじゃないよな、っていうことですよね。そう考えると親のほうはそういうとらわれはもういいと。そう思い至ったけれども、子どもさんのほうはそこに思い至ることは難しくて、親御さんから相談が来ると?

丸山:そうです。確かに親の立場からすればそうだと思うんですね。だって親御さんは所詮自分のことじゃないんだもの。ねえ? 本人の、わが子のことですから。ですから常識を捨てやすいといえば、捨てやすいじゃないですか。

杉本:まあねえ。大人ですからねぇ。

丸山:ねえ? でも本人は自分の人生ですから。そう簡単に常識から解放されて自分の生きたいように生きることのリスクをそうそう簡単に引き受けられないじゃないですか。だからやっぱりそこは本人のほうが難しいというのは確かにそうだ、その通りだなと思いますよ。

                           <後編に続く>

不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。