#2 ブラック勤めのオンナの逆襲 〜 パワハラにはパワハラで返す 後編 〜
昨日の続き。
社長と激論?の末、堪忍袋の尾がキレた私は、感情のブレーキが効かなかった。
バッグと車のキーを握りしめ、本当に会社を飛び出した。パートさんは事の顛末にビクビク、モクモクと仕事のフリ。でも耳だけははダンボちゃん。
そんな顔を横目にしながら、社長の罵声が背中を押す。
「おい!どこ行く!会社ダゾ!逃げたらクビだゾわかってるのかぁーー」
知らん。
もう知らん。
散々やった。
頑張った。
新規取引先の獲得も創業依頼トップを取った。社長の怒鳴りやゲンコツにも耐えた。パートさんたちを守るため、時には私が怒られた。
残業もした、毎日。休日も出勤、見事な365日皆勤賞。そんなことを数年続けていた。俗に言うブラック企業。でも、そこにはオーナー(社長)の、徹底した理念と、世のため人のための信念があった。
商品の一部は特許もとった、小さな街の老舗ブランドメーカー。NHK以外の民放テレビに幾度も取り上げられる、そこそこ有名になったメーカー。
でも、THE昭和のパワハラセクハラ・モリモリブラック企業。だからこそ、昭和時代の古い風習や文化の会社でもある。
社長(オーナー)はその昔、ある業界でブイブイ言わせていた有名人。人気すぎて命の危機を感じ、飲食店に転身。銀座や赤坂に高級店を数店舗展開するまでとなる。
ベンツ、BMW、センチュリー、カマロ……
40年前の当時、高級車とよばれた車を取っ替え引っ替え乗り回す。「オンナに不自由したことがない」と豪語したその生き様(ざま)は、いまはもう古き良き昭和の産物。
軸のぶれない経営理論、人としての在り方、人の上に立つということ。仕事での駆け引き。たくさん学ばせてもらった。
ただひとつ、男尊女卑も当たり前なその考えや暴言が、どうしても許せなかった。
「オンナでも経営に携わるなら気が強くなければやっていけない」
育てていただいた「気の強さ」は、メンチきって怒鳴り合いできるほどとなった。でもそれが原因で会社を飛び出してしまったのだ。
ただ、人として曲がったことはしたくなかったから。私なりのアイデンティティ。
(営業できるし、パソコン使えるし、接客もできる、独りならなんとかなるよね…)
あまり落ち込みはしなかった。ただ、本気で退職するつもりだったから。
会社を飛び出して数時間、頭を冷やすため自宅には戻らずにカフェやファミレスに入る。もちろん携帯は電源OFF。
そして数時間後、社長から30件以上の着信履歴が残っていた。留守番電話のメッセージには、涙声でこう伝言されていた。
「シクシク.ごめんなさい、戻ってきてください。シクシク」
目ん玉が飛び出るほど驚いた。驚きすぎて3回もメッセージを聞いた。同じ人間か?高級車カマロやオンナを乗り回していたと自慢した昭和マン。さっき怒鳴っていた同じ人物か?
そして、こうも思った。
それ見たことか!
1人だけを責めて、管理職1人に理不尽を押し付ける。オンナだからと馬鹿にする暴言も吐いて、男ばりの経営理論を、オンナの私に叩き込む。昭和のそのやり方は、もう通用しない。
パワハラずくめの攻撃は、同じくパワハラで返す。
これが、バルブ終焉後に社会人となったアラフィフ独女のやり方である。
オンナは、
ガマンして、
ガマンして、
ガマンが限界に来た時、
突拍子もない行動もできる。
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