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母方の曾祖父母を想う☆

母方の曾祖母は14歳の時に曾祖父(以後じじちゃんと呼びます)のところへ、お嫁さんにきたそうです。
祖母のお姉さんが親戚の集まりの時に私にだけ話してくれたのです。
母は機織りが得意だったの。と、聞いて北島三郎さんの与作と言う歌を思いだしてしまいました。
14歳で家事をしていたのだろうか?
14歳と言ったら中学2年生だぞ?
じじちゃんも17〜18歳くらいだったんじゃないかと私の母が後から言っていました。
事情があって宮城県から知り合いを頼りに1人でこの北国にやってきたじじちゃん。
14歳のお嫁さんをもらって子供にも恵まれました。1人前に家庭を持ったのです。
けれどお嫁さんは足を悪くして歩くのも、大変になったそうです。じじちゃんは力持ちで有名でお嫁さんをおぶって活動写真(映画)を観にいったりしていたそうです。
ですが、お嫁さんは色々悩んでいたのか近くの湖に入水自殺したのだと母から聞きました。
入水……。
私の勝手な想像だけど昔の家事やら子育て、お仕事は大変だったと思うのです。
今みたいにコンビニは無いし、料理をするのもかまどで火をおこして一苦労だったはずです。お洗濯でもなんでも丈夫な体じゃないと大変だったはずです。
足が悪いという事は想像以上にハンデになっていたのではないかと思います。
思いつめた若いお嫁さんは悩んだ結果、死を選んだのかと思うと、とても辛いです。
祖母のお姉さんは入水自殺の事は言っていませんでしたが母親の事をとても誇りに思っているようでした。たった1人の男の子は、有名な進学校へ、マントをはおって通っていたそうです。じじちゃんは、家族を愛していたから、お嫁さんの死は辛かったと思います。
どのようなご縁かわかりませんがその後、秋田県から後妻さんをもらいました。その後妻さんは、まだ若くて祖母たちとそんなに歳が離れていなかったのです。それでも子供たちの面倒をみてくれて1番懐いていたのが私の祖母だったらしいです。
その後妻さんには(以後、ばばちゃんと呼びます)血の繋がった子供はいませんでした。
けれども一生懸命、前妻さんの子供の面倒をみてくれていたようです。そして、じじちゃんは、たった1人の愛息を戦争で亡くしてしまいました。若くして戦争で志願兵になって船に乗って戦っていたようですが船は攻撃され沈んでしまったそうです。
それを知らずにじじちゃんが港に行き見、ず知らずの人から、あの船は沈んだと聞かされて、じじちゃんはショックで錯乱状態になってしまったそうです。たった1人の愛息まで戦争で亡くしてしまったじじちゃん。
その落胆ぶりは想像に難くないです。
色々とあったようですが祖母は豆腐屋さんをやる事になり結婚もして、じじちゃんとばばちゃんと祖父母の4人暮らしが始まったようです。子供も生まれ賑やかだったようですが祖父は普段は物静かで良い人だったらしいですが、お酒を飲むと祖母に暴力を振るう酒乱だったそうです。
祖父が暴れだすと母と弟妹達は布団に潜って静かになるまで怯えていたようです。
それは、母と弟妹達の暗い記憶になってしまったようです。そのためか、母の弟妹達は明るい家庭を作ろうと努力したようです。特に母の妹は、暗い家庭で嫌な思いをしたのだから明るい家庭にしましょうと母に強く言っていたそうです。
祖父はお酒に溺れお酒を飲みすぎて階段から落ちて亡くなったそうです。
なので、母方の祖父はたった1枚の遺影でしか見た事がありません。他の写真も見た事がなく、母の思い出話で、どんな人だったかを僅かにしか知ることしかできませんでした。
漫画のサザエさんなら、マスオさんの立ち場だった祖父。母達に、お前達も大人になったらわかると祖父は言ってたそうです。
戦争にも行ったらしいですが生きて帰ってきた祖父。色々と辛い事もあったのでしょう。
大切な家族の死を体験してばかりのじじちゃん。少年の頃から苦労してばかりか、お嫁さんを亡くし、愛息を亡くし、娘の夫を
亡くして、どんなに辛かったでしょう。
それでもユーモアは忘れず冗談が好きだったじじちゃん。 
祖母(娘)と豆腐作りやお肉の販売、簡単なお惣菜を祖母(娘)と売り、お店を繁盛させます。
じじちゃんは若い頃から働きづめでした。
晩年、ひ孫達を一人一人膝に座らせウサギとカメを宮城訛り?で歌って聞かせてた、じじちゃん。
私にはじじちゃんからのメッセージに聞こえました。人生を生き急ぐなと。
そして、晩酌でお酒を飲むと辛い過去を思いだすのか泣いていたというじじちゃん。
それでも、お正月に玄関先で賑やかな孫やひ孫達に囲まれ臼と杵でお餅をつくのを、
孫達に支えられながら1人座って眺めていたじじちゃん。
ばばちゃんも孫やひ孫をとても可愛がってくれたので皆に慕われていました。
口癖は、「ばばちゃんが死んでもばばちゃんを忘れないでくれな。線香の1本もあげてくれな。」でした。血が繋がっていないから忘れられるかもと思っていたのでしょう。孫達の伴侶の事もとても可愛がっていました。お嫁さんには、嫁に来てくれてありがとうと言って手をさすっていました。男の孫には、お嫁さんを大事にするんだよ、仲良くするんだよと穏やかに言い聞かせていました。皆に仲良くするようにと、いつも言い聞かせていました。
優しく明るい曾祖父母でした。  
皆が、揃って賑やかに餅つきをするのを、どんな思いで見ていたことでしょう。
じじちゃんは96歳で亡くなりました。
みんな、苦労して今ここにいるという感覚が私にはあります。
この歳になり、じじちゃんやばばちゃん、祖母(おばあちゃん)の人生を想うのです。
色々とあったけど先人達が頑張ってくれたから私が今、生きているんだと思います。
もう、感謝しかないです。
みんな、それぞれの人生を歩んでいます。
色々あるけれど、じじちゃんのウサギとカメを思いだしたり、ばばちゃんの、みんなが仲良くしてほしいという願いを思いだしたりして想うのです。
みんな、色々あるんだと。
喜びも哀しみも色々あるのが人生だと。
いつか忘れさられてしまうけど、みんな苦労してきたのだという事実。
それを忘れたくありません。
今、私がこうして生きていられるのは、じじちゃんやばばちゃんや、おばあちゃんのお陰なのだと。
苦労して命を繋いでくれた事に感謝して、大切に人生を送りたい。そんな風に思えるようになりました。
周りの人達もそんな、ご先祖様達の苦労で生きているのだと思うと優しくなれそうです。

ご先祖様達の人生を想う度、涙が流れるこの頃です。
もっと自分を大切にしようと思えます。


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