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4、抽象とイメージ (芸術の書 断片)

4、抽象とイメージ


さて、抽象とイメージについてですが、それは、意外に身近にあるのです。われわれは、普段、物を見ていて目で見たものを見ている。しかし、それ以外の世界もあることを芸術は教えてくれるのであります。そしてわれわれは、芸術は精神から、芸術はイデアから、神々の世界から来たことを知りましたが、この地上に生きている中にも心の世界が現実としてあることを否めないと思う。心は脳みそだという方もおられるかもしれないが、これを何て言おうか、心は霊的な意識、霊体が肉体に宿っていてすっぽり入っている。そして魂が霊体の中心の心臓部分にある。霊体に意識があり、霊肉の二元論があると知りましょう。その霊意識は、神の分霊であり、神の意識の分身で、我という個性を持っている。  

その霊意識は、人格を持っていて、神と、宇宙の根源神とつながり、われわれ存在すべての者は、つながっているのだということ。そして、抽象を語る場合それは観念であること。 観念は形にも言葉にも表現できないイメージであるということ、そして、それがインスピレーションの可能性と根源になっている。観念はこの地上の表現するとき、地上の言語で表すには、地上の言葉、言語に翻訳する必要があります。そして、絵や音楽に表現することができます。イメージとは映像として表れ、実際にキャンバスに再現されます。そこに、いかに奥の底の観念を見て感じるか。まずは、感じる事が大事です。

美学とは感性学でもあります。感性でもって観念を感じ、絵や詩、音楽にしていくのです。

イメージには神の啓示があります。観念には神の心があります。それを出せるようになるには、やはり、それを許して行かねばなりません。自由になってその観念とイメージを受け入れて、信じる事です。

自分の心から出現する観念の夢を知覚できるようになるには、自分を自由にして心の世界、神の世界を受け入れる事です。信ずる事です。信仰の力がそれを可能にしていくでしょう。もし、自分には信心がないとおっしゃるなら、心はあるはずです。心の中に、自分に嘘のつけない究極に真の自我を発見できるなら、それを大事にしてほしい。観念を理解するには、普段から、観念の世界を知覚して訓練するといいでしょう。

とくにクラシック音楽は訓練にはいいと思います。音楽には形がありません、しかし、なにかを描写したり、精神の世界を表現していることがありますので、音楽は抽象でありイメージです。詩や小説などの読書も文字で読んで、情景や人物の心の状態や、動きを理解するので抽象であることは言えます。絵画は、これは具体的な客観的な抽象であると思います。絵の具の色、筆のタッチなどは、画家の精神が雄弁に語られているのです。具象画も実際には無い色や形や構図を描いています。そういう意味では抽象でしょう。なぜならば、その絵画は観念とイメージが何%かインスピレーションが込められているからです。やはり、観念からやってきました。抽象とイメージは、観念から来た神の世界からの啓示となった知恵であり。それを理解し観念の柱を心でとらえて共に生きれば、無尽蔵の芸術制作が可能となりましょう。

抽象とイメージは、神の世界を知る事であります。

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