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アチャン・ネイブ伝(全訳)

ジャック・コーンフィールド

 アチャン・ネイブ(Ajahn Naeb)*1は、ミャンマーと国境を接する地方の、タイの県知事の家に生まれた。35歳のとき、彼女はアチャン・パトゥンタ・ウ・ヴィラサのもとで、アビダンマとヴィパッサナー瞑想を学び始めた。12年後、アチャン・ネイブは他人に対する指導を始め、多くの僧院に教学と瞑想実践のためのセンターを設立し、ついには王室の庇護のもと、バンコクのワット・サケットに仏教研究と、精神福祉のための協会を設立した。70代後半になった今も、彼女は瞑想指導を続け、その弟子たちはヴィパッサナー瞑想の実践を広める活動を続けている。ワット・サケットはバンコクの中心部にある、丘の上にある寺院である。アチャン・ネイブのもとを訪れれば、明晰で私たちの心に直接的に響くダンマを聞くことができる。
 
 アチャン・ネイブは修行者たちに、まずはゆったりとくつろいで座るようにと言い、それから動かないでいるようにと指示をする。すると、まもなく、修行者たちは勝手に姿勢を変えようとする。すると、アチャン・ネイブは
「ちょっと待って。どうして動こうとするのですか? まだ動かないで」
と言う。アチャン・ネイブの教えは、私たちの苦しみ(ドゥッカ)の原因である、私たち自身の身体を直接指し示すものである。動かないようにじっとしていれば、やがて痛みが増してくるので、姿勢を変えなければならなくなる。私たちの一日の行動のほとんどすべてが、そのまったく同じ法則に支配されたものなのである。朝起きたら、尿意を感じてトイレに行く。それから、空腹からくる不快感を和らげるために朝食をとる。そして、立っていることの苦痛を和らげるために座る。次には、乱れた心の痛みを紛らわすために、本を読んだり、話をしたり、テレビを見たりする。そしてまた、別の不快感を和らげるために動く。一日の生活における、それぞれの動き、それぞれの行動は、私たちに幸福をもたらすためではなく、身体を持って生まれてきたことによって、避けることのできない苦しみを和らげるためのものなのである。アチャン・ネイブの説く瞑想法は、私たちの日々の生活や行動の中にある、苦しみの原因と結果を観察するというシンプルなアプローチのものである。このプロセスを明確に認識することが、ブッダの説いた苦しみの終焉への直接の入口となるのである。
 
 アチャン・ネイブはダンマについて、他にも重要なポイントをいくつも挙げている。彼女は、瞑想実践を始める前に、仏教に対する正しい概念的な理解が必要であることを強調している。また、アチャン・ネイブは中道を確立することは容易なことではないとも述べている。正しい理解と気づき(サティ)なくして、智慧は育たない。ここで言う正しい理解とは、名(ナーマ)と色(ルーパ)に対して、正しく気づく方法を知ることを意味する。また、正しい理解の中には、渇愛(タンハー)からどのように煩悩が生じるかを知り、正しい修行であるヴィパッサナー瞑想と、間違った修行であるサマタ瞑想の過剰な探求を区別することも含まれている。
 
 ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想を区別することは、非常に重要である。静けさ(サマタ)や特定の修行法に執着することは、智慧(パンニャ)を育てることの妨げとなる。智(ニャーナ)は、今この瞬間の名(ナーマ)と色(ルーパ)を直接観察することによってのみ得られる。極端な努力や、特別な集中は必要ない。それよりも、日常生活のあらゆる場面において、名(ナーマ)と色(ルーパ)を観察することが重要である。そうすれば、日常生活において、いかに苦痛と不満足(ドゥッカ)が私たちを駆り立てているかが、はっきりと分かる。そして、名(ナーマ)と色(ルーパ)はくうなるものであり、絶えず変化し続けているものであるかも分かるのである。
 
 ヴィパッサナー瞑想の実践によって、名(ナーマ)と色(ルーパ)を直接知ることによってのみ、智慧(パンニャ)が生じると、アチャン・ネイブは語る。彼女は、ブッダの教えの独自性を強調し、すべての智(ニャーナ)に至る一つの道として、四念処の重要性を説く。そして、極端な努力は必要なく、ただ今の瞬間、名(ナーマ)と色(ルーパ)を観察し、なぜ自分自身がそのような行動をとるのか注意することを重視している。
 
 アチャン・ネイブは、智慧を養うためには、法話をきちんと理解をして聞くことが重要であると言う。きちんと理解をして聞くというのは、先入観や自分の意見を持たずに、虚心坦懐に相手の話を聞くということである。心を閉ざして相手の話を聞いていると、どうしても先入観や自分の意見で真理が隠れてしまい、智慧を養うことができない。瞑想指導者の話を聞くときには、先入観や自分の意見といったものは一旦脇に置いて、「自分の先生は、違うことを言っていた」などと余計なことは考えず、オープンマインドな気持ちで耳を傾けるべきである。人の話を聞くときに、相手がどのような人物かどうかは関係ない。彼が瞑想の達人であるか、自分の師匠かどうかなどと考えることなく、いかなる偏見も持たずに、相手の話に耳を傾けるべきである。常にオープンマインドで人の話を聞くことが大事なのだ。重要なのは、相手の話している内容が妥当かどうか、真理に導かれるような内容かどうか、ということだけなのである。
 
 現在もタイ(ミャンマーも含む)の多くの瞑想センターで、アチャン・ネイブの指導法を受け継いだ指導がおこなわれている。智慧(パンニャ)を育て、解脱に達するために、海外からの修行者も歓迎されている。
 
【注】
 *1 アチャン・ネイブ(1897-1983)

ジャック・コーンフィールド『Modern Buddhist Masters』より
 
"Modern Buddhist Masters", by Jack Kornfield. The Buddho Foundation, https://buddho.org/book/modern-buddhist-masters/ .
 

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