200820 過剰摂取、やる気

日々、あしたやろう、後でやろうを繰り返して生きている。ぼんやり配信サイトでドラマを一気見し、その都度涙を流すほど感動し「わたしも頑張ろう」などと触発されているのに。


なぜ継続できない、挑戦できない、後回しにしてしまうのだろうと、いつも疑問に思っていた。

だが、待てよ。もしかすると、その、人の「やる気」を過剰摂取している日々こそが、自分のやる気につながらない要因なのではないか。と思いはじめた。



人のやる気を浴びると、はじめからドラマの中のような成功を目標や夢として掲げてしまい、物事をやり始めるハードルが上がる。

自分が位置する環境や、持っている性質を無視して、ドラマのような道筋を想像してしまう。


だが現実は、いいとこ取りのフィクションとは違い、物語をドラマチックに演出してくれるBGMもなければ、急なカット割りで - 数年後 - なんてタイムスリップもない。目の前にあるのは、地味な自分が、地味にやっていくだけの成功が約束されていない日々。

「やること=成功」につながらなくても構わないはずなのに、人のやる気が成功につながった例を知ってしまっているので、どうしても欲が出る。

どうせならそんな風に。とお膳立てをしているうちに、所詮は他人の「やる気」に誘発されただけのモチベーションは底をつく。


よーし、こんな風にわたしも!あしたこれを買って、まずはこれから〜、、


なんてやっていて、やる気がどこかへ消えて、また新しい「やる気」を別のドラマで摂取する。「やる気の過剰摂取」による鈍麻。次から次へと、もっと他人のやる気に触発されなければ、、!


別に皆がみな、高みを目指す必要はないのに。自らが過剰摂取した「他人のやる気」によって、勝手に苦しくなるなんて、おかしな話である。


できない・しないを責めても何もならないけど、楽しく生きるために、やりたいことなら、やってみれば。やる気がない時は休んでもいいじゃん。


自分のやる気には、どうにかして自分自身で出会うしかないのだなぁ、と、「やる気中毒」になりつつある今、気が付いた。

日々個人的な感想日記を書いております。いただいたサポートではシルバニアファミリーを買おうと思います。