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【短編小説】 いけないことがしたい、夜。

 鍵を拾った。
 失恋したその日に。
 失恋とか言って、ただちょっと俺に気があるのかなって思ってた女子が他の男と手を繋いでいる所を目撃しただけだ。
 そんなに大したことじゃない。
 ぼんやりと駅の改札を出て、LED照明で飾られた駅前の商店街を眺める。
 まだ5時半なのに、もう夜だ。
 長い夜の始まりだ。
 そんな風にぼんやりしながら歩いていたら何かを踏んだ。
 鍵。
 俺は鍵を拾った。
 ゴツゴツとした鍵には、赤いテディベアのマスコットがついていた。
 そこら辺に捨てて帰るか、テディベアに落書きしてその辺に捨てるか、そこのクリスマスツリーに飾るか、その辺のゴミ箱に捨てるか。
 クサクサしているせいで捨てるという選択肢が次から次へと出てくるが、一応まともな高校生なので駅員がいる窓口へ持っていくことにした。

「それ、私の!」
 窓口で駅員に鍵を渡そうとすると、隣で何か書いていた女の人が声を上げた。
 大学生くらい?
 大きなリュックと大きなバッグを持っているけど、旅行?
 俺は鍵をその人に渡す。
「よかったぁ」
「ナイスタイミングでしたね。見つかってよかったです。君、ありがとう」
と、駅員が俺に礼を言う。
 女の人はちょうど紛失届的なものを書いていたところだった。
「ありがとう! 本当にありが‥…あ、たか……」
 その人は俺の顔を見て驚いていた。
 たか?
「え?」
「えっ、あ、もしかして、そこのローソンの……」
「俺? あぁ、バイトしてます。お客さんで?」
「そう、よく行ってて」
「今日も、これからバイトです」
「そうなんだ。あ、すぐ? すぐ行くの?」
「いえ、飯食ってから……」
「それ奢る! お礼。奢らせて!」

 改めて見るとキレイな人だった。
 ダウンジャケットとニット帽を脱ぐと、女性らしい体と可愛らしいおでこが現れた。パンツスタイルのカジュアルな格好だったが、とても彼女に似合っていた。無理がない。自然体。
 ちょっと緊張しながら、ハンバーガーを頬張った。
 時間があまりないのが悔しかった。
「彼氏が、違う。元彼がこの辺に住んでて。今日は彼の家から自分の荷物をね」
と、その人は大きな荷物を指差した。
「へぇ〜」
 くらいしか言えない。
 会ったことがあるのかと思い出そうとしたけど、記憶がない。
「私は、もっと遠くに住んでて。でも、彼、元彼の家の方が学校に近いから。半同棲みたいな」
「ふ〜ん」
彼女はホットカフェオレをすすった。
「元彼にはもう全然未練とかないんだけど、この駅をもう使わないのかと思うと少し残念だったんだ」
「そう」
 何だこの人は。
 たかが鍵を拾ってくれた相手にベラベラと何をしゃべってるんだ。
 短い髪が、おでこにぺたりと張り付いてるのが可愛いな。
 ショートヘアって可愛いんだな。
 ハンバーガーの最後の一口を放り込む。
「俺、全然あなたのこと覚えてないんですけど」
「だよね。お客さんのことなんてそんなに見ないよね」
「そろそろ、バイトの時間なんで」
「あ、うん。鍵、本当にありがとう。こんな荷物抱えて、家に入れないとかやばかった」

 店から出る。顔に当たる冷たい空気が気持ちいい。
 冬のこういうところが好きだ。
 街はキラキラしていて、でもいつでも夜に溶け込める。
 ちょっと明かりの隙間に潜り込めば、いけないことが出来そうな、そんな期待で満ちている。
 目の前には暖まって頬が赤く染まった人がいる。

 いけないことをしたい。

「あの、俺……」
 でも、勇気がない。
「……冬の夜って、なんか淫靡だよね」
 彼女はクリスマスツリーのイルミネーションを見上げながらつぶやいた。
「インビ?」
「外は冷たく、中はあつい」
 何言ってんだ、この人は。
「そうだ、名前とかって」
 彼女の顔がぱっと明るくなった。
「ごめん、言ってなかった。私、上原ふみか。大学2年生」
「俺は、高木祐介。高2」
 上原さんは、うん、と笑った。
 そうか、知ってたんだ、俺のこと。
「俺、いけないことしたいです。上原さんと」
「え……それって?」
「したいです。いけないことを」
「ええと、犯罪とか?」
「未成年をたぶらかす、とか、たぶらかされる、とか」
「私、19歳だから」
「愛がなくてもする、とか」
「勢いで?」
「面倒なこと省いて」
「体だけの関係?」
「短絡的な」
「一時だけの?」
「快楽的な」
「欲望のまま」
「しませんか、俺と」
「バイトは?」
「あー、それか」
 さぼる、とは言えない真面目なボク。
「待ってようか。終わるまで」
え?
 上原さんは楽しそうな笑みを浮かべている。
「いけないこと、って言葉の響きがいいよね」
 急にソワソワしてくる。
「9時に終わるんで、バイト」
「うん。じゃぁ、ツリーの前で待ってる」
 やばい、バイトの時間ぎりぎり。
 俺は上原さんに手を振ると、すぐそこのローソンへ走った。
 うん、確かに響きがいいな。
 いけないこと。
 どこかから聞こえるクリスマスソングをくぐり抜け、冷たい空気を吸い込み、光の裏側へあの人と行こう。
 ふたりで熱くなるんだ。
 いけないことをするんだ。

      完

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