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8月26日

状況:依然として何しにオーストラリアに来たんだ?と考え中

8月26日________________________

・オーストラリアからトンガ王国に行きたい
・オーストラリアの東側も含めて旅行がしたい
⇒そのための資金をワーホリを通して稼ぐ?
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これは湊かなえさんの著作「絶唱」を読んだ影響を受けたため。あの作品は決してポジティブな内容ではなかった。でもその南国の描かれ方は登場人物たちとは対照的でいつか行ってみないとと思っていたため、南半球ついでにと考えた結果である。

ワーホリに意味を持たせようとした。
未だに意味も意義も目的も目標もない。日本人と過ごし、日本人と働き、日本語で文を書き、日本語のコンテンツを楽しんでいる。ダメ留学生の典型例らしい(そもそも留学生ではないか)。でもそこそこ楽しい。なんのキャリアにもならないかもしれない。
カラッとした肌触りのいい気温と、同じはずなのに明らかに高い空のもとで好きな本を読む。好きな音楽を聴く。
週20時間程度、マイナスしないくらいには働いて、
ジムとサウナとプール付きのアパートに住む。

23歳、高卒で就職して三年半で退職。自分には学歴もキャリアもない。
先々経験で戦えるようにと思って来たオーストラリア。のになんだこの老後みたいな過ごし方は。

まずはオーストラリアに幻想を抱きすぎだ。
なぜなら具体的でないから絶対に掴めない。でもなにかを求めて、なにか人生が変わらないかなんて思って来た。
確かにそうだ。変わるわけなんてない。変わるのは、変えるのはいつだって自分だ。こんなこと数え切れないほど読んだし聞いた。
やっぱり自らの身でたどり着かないといけない人種らしい。
何ならたどり着いたのは初めてじゃないかもしれない。
これからもあるかもしれない。
でもそうやって生きていくしかないっぽい。
23歳。これからが楽しみだ。
今日もオーストラリアの世界一孤立した都市パースで、
日本にまみれて生きていく。

P.S. 学生のときから ”みんな” と ”いつか” が嫌いだ。
前者は自分も使ってしまうことがあるから気を付けたいのだが、自分を少数派の被害者だとか、特別側だとかそんなニュアンスが入っている気がして引っかかる。そしてそれが”みんな”つまり全員であることは滅多にない。
いつかは単純に今やれ今行え今計画を立てろと突っ込んでしまう。


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