ぼんやりしながら、自分と向き合った一日。
「なんか楽しめないけど、刺激が欲しいし、休みたい」
そんな相反する理由から先日、祖母の家に急遽一泊することにした。最近顔を出していないのも理由の一つだった。
なぜ、刺激が欲しいのかというと、スマホの利用時間が以前はMAX8時間を3時間に減らし、その事実から自分が「刺激中毒」になっていることに気づいたからが一つ目の理由。
二つ目は、同じことの繰り返しの毎日で飽きてしまったからだ。
そして、心が休息を必要としている。
そのことは伝えなかったが、祖母は了承してくれた。昼には着くとこちらから連絡した。
もともと祖父と二人で暮らしていたのだが、すでに他界しており、祖母しか住んでいない。
高校時代に使っていたリュックサックに、必要なもの(あとで無駄だったものがあったが……)を入れて、外へ出た。
日差しは柔らかいが、少し風が強い。薄い長袖のシャツを着ておけばよかったと後悔した。
バスに乗って、祖母の家まで向かう。街並みは大都会とも森が生い茂った田舎ともいえず、中途半端な街並み。何度も見ているので、僕は飽きてしまった。
スマホを見るのもつまらなくなってしまったので、僕は窓の外をぼんやりと眺める。「そういえば、昔はここは海のど真ん中だったな」と江戸時代の風景を現実の風景と重ね合わせて、思いを馳せた。
目的地に着いて、バスから降りてアーケードを通り、祖母の家に着いた。祖母は僕が家に入ってきた音が聞えなかったのか、少し驚いていた。祖母はまだ昼なので仕事をしていた。
スマホは物理的に距離を離して、見えないところに置いた。時間の大切さに気付いてから、何か目的があるときにスマホを使うようになった。
リュックサックの中を漁る。英語学習用の教材やノートは結局使わなかったので、荷物が無駄に重くなってしまったことを後悔している。
何をしようか迷ったが、A4の自由紙を取り出して、「自分と向き合う 一問一答」をタイトルとして書いた。
なぜ、僕は急に「自分と向き合い始めたのか」。それは、先ほど書いた相反する理由を解明するきっかけになるのではないかと思ったからだった。
まず、「僕は結局何がしたいのか?」と書いた。これを突き詰めることがこの一問一答をやる目的。そして、「わからない」と答えた。
次に「今やっていることは?」と書いた。やっていることはかなりあるが、心のうちから湧き出る、内発的な動機がやり始めた最初のころよりも少なくなっていることを補足として書いた。
そして、やめたいと思っていることを2つ書いた。ひとつはさっき書いた英語学習だ。そんなにお金をかけていないものの、「周りがやっているからやろう」と流されて肝心の「英語学習をやる目的」について明らかになっていないことに気づいた。
しかも、考えこんでも「やる目的」が出てこないため「やる意味ないかも……」や「お金の無駄遣いだった」と後悔した。
という風な流れで、小一時間ほど集中して書いたのだが、「真に情熱を注げるようなやりたいこと」は見つからなかった。慣れていなくて、我流でやってしまったのが見つからなかった原因の一つかもしれない。
そのあと、祖母と一緒に話したり、テレビを視聴したりした。僕は現在療養中で昼間は家族が学校や仕事で出かけているため、家でひとりでいることが多い。
寂しい気持ちもありはするのだが、やはり人と話すと情緒がさらに安定する。
そして、それらをした後はただ、ぼんやりとする。
「ぼんやりするだけ?時間がもったいない」と思われる方もいるかもしれない。しかし、僕にとっては脳を休める最良の薬であり、難敵でもある。
なぜ、難敵と言うのかというと、退屈が本当に苦手で嫌いだからだ。先の書いたあなたの気持ちとほぼ同じだ。
それに、twitter時代の名前が「退屈が嫌いな○○」としていたくらいだ。
小休止のぼんやりをしたあと、今度は小説のプロット(設計図のようなもの)を書き始めた。
ただ、疲れていたのかあまり集中して書けなかった。それから、なんやかんやで時間が過ぎ、夕食を食べることになった。
夕食はエビフライとちょっとしたサラダと天ぷらだった。僕は小食なのでそれに加えて、2杯のごはんで充分だった。
そして、もう一度一問一答をやろうと思ったが、満腹の影響で眠くなってしまっていて、なおかつ頭が妙に疲労感があったため明日に臨むことにした。
シャワーを浴び、9時に就寝。翌朝は7時に起きた。入眠時間も合わせると9時間半も寝ていることになるが、それでいい。
朝食はパンとヨーグルト。いつもはバナナとプロテインだったが、つまらない日常から少しだけ変化を加えた。
体力、気力のエネルギーの充電度合いは80%。80%は個人的になかなかなく、70%がいつも限度だった。
そして、祖母の買い物に付き添い、10時あたりに帰り、今に至る。まだエネルギーは高まっているし、情熱的なやる気ではないものの、穏やかなやる気が続いている。
僕が伝えたいことがいったい何かと言うと「疲れている繰り返しの日常に少しの変化と小休止のぼんやり」を加えてみてはどうか?という提案だ。
少しの変化に関しては、なんでもいい。僕のやったように朝食を変えるでもいいし、気になっていた店に立ち寄るのでもいい。
ぼんやりに関しては、なかなか現代では難しい。通知に気が散ったり、見たいものはないのにテレビを見てしまったりと、とにかく現代は気が散らされれるものが多すぎる。
そういう現代だからこそ、スマホとの距離を離してぼんやりするのが疲労解消のベターな一手かもしれない。
時間に余裕をつくって、どちらかでもいいので、気が向いたら是非やってみてほしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?