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ヤフコメは好意的でもアクセス数で惨敗したコラムの話(DANRO反省会)

久しぶりに会ったAさんに「湯豆腐のコラム、読みました。うちでも早速やりましたよ、鱈と春菊」と言われた。そういえば年明けのDANROの記事に、そんなことを書いていた。

年末に編集部と相談したとき、「松の内はネットにアクセスする人が減るから、避けた方がいいですよね」と言ったところ、他社の出稿が減るから逆に狙いどきではないか、という提案をされた。

しかし、年始すぐ書けそうなネタも思いつかず、つい返事を怠っていた。それが帰京する電車の中で小説「センセイの鞄」を読んでしまったがために、こういう顛末になったわけである。

珍しく好意的だったヤフーのコメント

ということで、正月休み中に急に編集部の手を煩わせることになってしまい、申し訳なかった。サイトのアクセスランキングに一瞬でも顔を出すことがなかった。重ねてお詫びしたい。

ヤフーのコメント数も13件と寂しいもので(現在、2件削除されて11件)、やはり新年は避けた方がよかったのかなと思った。ところがコメントの中身を見てみると、いつになく好意的なものが多い。

「良い記事でした。」

なんて珍しいものもあり、このコメントに対して「そう思う」と共感してくれる人も21件、「そう思わない」は0件だった。「これって、サイコーのゼータクでは。」なんて言ってくれるものもある。急いでサクッと書いたわりには、喜んでくれた人がいたようだ。

ゆったり読める正月休みには、ちょうど合っていたのかもしれない。その点は編集部の思惑どおりだった。ヤフーのコメントは、一定日数が経つと配信記事ごと削除されてしまうので、いくつかピックアップしておきたい。

「湯豆腐はシンプル極まりない肴である。
まさに、春菊と鱈くらいが足してもよいぎりぎりのところだ。
それ以上足してしまうと別の料理になってしまう。
シンプルだからこそ味わう際にそれぞれの想いも入りやすく、酒も入っていれば油断すると涙ぐむ恐れもある。
たかが湯豆腐ごときにヤラれてしまう時もある。」

デバイスの発達で、私たちが目にする情報は爆発的に増え、頭を使う機会も増えた(理性的に考えるだけでなく、感情的に振り回されることも含め)。その一方で、具体的なものに触れ、その感触を五感できちんと味わうことが減ってしまった気がする。

湯豆腐は、インスタ映えしない。高級食材でもなければ、味にインパクトもない。それでも、騙されたと思って実際にやってみると、こんなに単純なものが実にうまいのである。

それも、エアコンの効いた現代的なマンションの一室ではなく、震え上がるような寒さの下で、熱燗とともにやると、まさにコメントの通り「たかが湯豆腐ごときにヤラれてしまう」のだ。

「使い込まれた鍋の中で煮える豆腐こそ、味わい深い安らぎをくれる一品。」

湯豆腐といえば土鍋、というイメージを持っていたが、「センセイの鞄」に出てくるアルマイト製のおひとりさま用の鍋は、豆腐一丁を楽しむには充分な大きさだ。

小説を味わい深くするのは、こういう細かな描写のリアリティだ。これは、頭の中で練った想像力だけでは難しい。

それにしても川上弘美は、こんな素晴らしい食べ方をどこで知ったのだろうか? さらっと読み飛ばされてしまいがちな箇所だが、実に奥深い意味が込められていたことに気づいてよかった。

「センセイの鞄、大好きです。
あまり冒険せず、好きな作品をくりかえし読むタイプの私は、この作品も単行本を買ったのは何年も前ですが、時々読み返しています。
そういえば、自宅でお鍋は頻繁にするけどシンプルに湯豆腐ってしてないなぁ。」

「センセイの鞄」を最初に読んだのは、初版から間もなかったから2000年代の前半だ。そのときは、センセイもツキコさんも、グズでまどろっこしい人同士というイメージを持った。小泉今日子主演のテレビドラマが、そういう設定になっていたのに影響を受けたのかもしれない。

それが、15年以上経って、50を過ぎてから読み返してみると、その感想はすっかり変わってしまった。彼らは、自分にも他人にも誠実に生きようとしている、まっとうな人たちという印象しかなかった。

若いころからぼちぼち本を読んでいるので、再読して感想が変わるのがとても楽しい。残りの人生の楽しみが増えた感じだ。幸いなことに古本は安く、音楽はYouTubeなどで無料または安価で聞ける。

まったく、どうでもいいネットニュースなんか読んで暇つぶししてる場合じゃないと思うんだよね(笑)。

「昨年、いや年が明けたのだから一昨年の秋、ひとり酒田へ行った。
目当ての居酒屋はあいにく定休日で寒鱈汁も湯豆腐も食べられなかった。
今年は日焼けした文庫本を機内に持ち込み、もう一度行ってみよう。
こんな時間に腹減った。湯豆腐なら許されるかな。」

プロフィールを見て、酒田を思い出してくれたのならうれしいです。そろそろ寒鱈の旬です。ぜひもういちど挑戦していただきたい。

「いやー 鱈が入ったら まして春菊まで入ったら ただの鍋でしょ
湯豆腐は 豆腐だけ」

おれもそう思ってたんだよ。頭でっかちでコメントする前に、実際自分でやってみなってばさ。この人に比べて、実際にやってみたという冒頭のAさんの行動力は素晴らしい。

「だしの素入れないで昆布を敷こうよ…とかつい言いたくなる(笑)。がさつな男でも出来る簡便さと食べ飽きない奥深さ。愛すべき一品ですよね。」

おっしゃる通り簡便さも大事なんですよ。それに昆布は味がまったりしてしまうのが良し悪し。文中でも触れましたが、すき焼きの割り下に小ねぎを混ぜて食べるのが、意外とよかったです。

しかし「今年一番くだらん記事」に惨敗した事実

というわけで自画自賛なエントリーになってしまったが、最後にちゃんと「反省」をしておきたい。形だけの反省ではなく、心から。実際、他のコラムに惨敗しているのだ。

ヤフーに配信されているDANROの他のコラムを見ていたら、コメントが220件もついているものがあった。

トップのコメントには「そう思う」が1619件もついていた。だが、それはコラムの論旨への共感ではなく、コラムに冷ややかな反応を示すコメントに対するものだった。

誤解なきよう強調するが、そのコラムをけなしたり掲載を決めた編集部を貶めたりしようとする意図は、まったくない。したがってタイトルも書かないし、リンクも張らない。ただ、このコラムに対するヤフーのコメント欄の攻撃性はすさまじい。内容に直接言及したものを外しても、こんな感じのものが並んでいる。

「なにこれ」
「ライターのセンスが悪くて呆れた」
「クソ記事 この記事を読んで時間を損した」
「記事にするほどの内容じゃないよ」
「今年一番くだらん記事」

年末公開のコラムに「今年一番くだらん」とは生々しいものがあるが、「センセイの湯豆腐」と比べ、コメント数にして20倍、トップのコメントの評価件数にして80倍以上も多い。

「良い記事でした」といった好意的なコメントはなかった。しかしこのコラムは、松の内のDANROのアクセスランキングで、常にトップを誇っていたのである。

現状のウェブメディアがアドテクの広告枠で収益を上げていることを考えると、生命線はアクセス数(ページビュー数)だ。ヤフー読者が「今年一番くだらん記事」と評したコラムは、総合的に考えると、DANROに対し「センセイの湯豆腐」の100倍以上の貢献をした可能性すらある。

もちろん、アフィリエイトを使えば、たとえば会員登録者の年収の高さなどが影響し、「センセイの湯豆腐」の方が価値の高い記事と評価される可能性はある。「センセイの湯豆腐」の方が、サイトのコンセプトに合致し、レピュテーション(評判・ブランド性)を高めた可能性もある。

とはいえ、まだ開設されて1年も経っていないサイトとしては、配信先からのバックリンクで訪問し、他の記事も読んでくれる読者の絶対数が非常に重要になり、それが仮に「プチ炎上」によるものであっても問題はない(レピュテーションを下げるほどのものであれば問題だが)。

そうすると、筆者としては「良い記事でした」というコメントに満足していることはできない。これは皮肉でも何でもなく、私のコラムはこのコラムの100分の1しか貢献しなかったおそれがあるからだ。

まあ、専門ライターであれば、そんなことは編集部の責任であって自分は知ったことではないとも言える。しかし自分も(他サイトではあるが)編集者のはしくれであるので、質とアクセスを両立する記事を書き、DANROの発展に尽くすことは依然として大きな課題となる。

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