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「毒親」の母と、洗脳に気づいた私

「毒親」という言葉


「毒親」という言葉を知ったのは、2019年の夏。

私は今、大学1年生だから、ほんの一年半前の話だ。

私の家族は、家族4人のごく一般的な中流家庭。

私の母は、美人で人当たりがよく、ユーモアのある人。

外から見た母のことは、私も「素敵な人だな」と思う。

でも、母親としての彼女のことは大っ嫌いだ。


暴力はない。学費も沢山、払ってもらっている。ちゃんと今まで、育てて来てくれた。

『それなのに「毒親」だというなんて、大っ嫌いだというなんて、ありえない』

そう言ってくる人は、きっと大勢いるだろう。


そんな意見は心の底からどうでもいい。


「毒親」という言葉の定義がどうであれ、この言葉を知ったあの日あの場所あの瞬間、私は確実に、自分を縛り付けていた何かから解放されたのだ。

言葉ってすごい。

文字ってすごい。

知識ってすごい。



母から与えられ、私を苦しめたものたち


いずれもっと詳細に書けたらいいな、と思うが、ここでは項目にしておこうと思う。

昨今見かけるようになった「毒親」という言葉が、生活の中でよぎっても


「私の親は暴力を振るわない」


「愛情とお金をかけて、育ててもらったし、感謝しないといけない」


と考えて、自分の心と向き合わずにいる人がいると思う。

私はずっとそうだった。


親=温かい、大好き、愛情 の方程式に少しでも違和感を感じるのなら、自分の実の親のことを「大っ嫌い」と言えるようになることで、変わる世界があるかも知れない。

その参考に、母から与えられ、私を苦しめたものたちについて挙げておく。



○「1褒められる前に10けなされる」

「なんでできないの」

「自分が悪いんだから」

「似合ってないよ」

「偉そうに」

「もうちょっと謙虚になれば?」

「足が太い」「顔が丸い」「肌が汚い」

「周りの人は褒めてくれるだろうけど、それはお世辞だよ」」

「いつも自分勝手だよね」

「友達も迷惑してるんじゃない?」

「人の所為にするな」

「他人に汚いって思われてるよ」


全部、全部正論だ。正論で心臓を刺してくる。

実の親から放たれる言葉は、良い言葉も悪い言葉も全部大きくなって心に響く。

あの時「似合ってない」と言われてから、私はずっと、自分の身なりに自信がない。

あの時「偉そうに」って言われてから、私はずっと、他人と上手く話せない。

あの時、あの時、あの時。


2020年夏、泣き叫びながら

「ママがこういうこと言うから、だから私は苦しい」

「もっと言動に気を遣って」

と訴えた時、母はこう言った。


「私の言うことにいちいち傷ついてんの?なんでそんなに気にするわけ?笑」



なんで、って

あなたが私の母親だからだよ。

そうじゃなかったらこんなに気にするわけないじゃん。

生まれてから一番長く一緒にいる人間の言葉だからだよ。


「そうか、この人はそんなことも分かってなかったのか。」と、ひとつ吹っ切れた瞬間だった。


○「父の悪口を言われ続ける」


物心ついた時から、私の母は父のことが嫌いで、とても仲が悪い。

父の方は、母の悪口は言わない。

それどころか、何年か前まではちゃんと結婚記念日に花を送っていた。

その花も母に「手入れが面倒だし、センスがないから要らない」と言われ続けて無くなったけれど。

「帰ってこないで欲しい」

「同じ墓には入りたくない」

「給料が少ない」

「何回も裏切られた」

「本当に嫌」

「趣味がきもい」

母がいつもいつもそう言うし、私も母の機嫌をとるために「そうだね」って言う。

そしたら自分も、父に素直な態度で接せなくなっていった。

私も父が嫌い?


違う。大好きだ。


母がいると忘れそうになる。

母に怒られている父を見るとつらい。

夫婦で買い物に出かける友達の両親を見ているとつらい。

レストランで仲良くおしゃべりしている老夫婦を見るとつらい。

どうして私の両親は仲が悪いんだろう。

私を育てるのが大変だったから、きっとその途中で今みたいになったんだろう。

私の所為かな。

…私がいなければお互い離れられるのにね。


「お父さんに似て変な耳」と言われた耳も、友達が「可愛いよね」って言ってくれたから、私は好きだ。

父の趣味とわたしの趣味は一緒だ。

昔の古いアニメもプリキュアもセーラームーンも、大好きだ。

父が小さい頃に沢山見せてくれたから、今でも元気を貰っている。

母には隠さないと、「気持ち悪い」と言われてしまう。


悪いことなんて一つもしてないのに。


ある日、夫の愚痴をユーモアあふれる言い回して呟いている方(どなたのことか分かっても秘密に。)のTwitterを見ていた。

その方が


「娘たちには、夫の悪口を言ったことが無い」


「娘たちにとって、夫は唯一の父親であることには違いないから、娘たちが夫を嫌わないように気をつけている」


と言っていて衝撃を受けた。


こういうのが愛だ、と思った。



「案外みんな、旦那と同じ墓には入りたく無いって言ってるから。あなたも気をつけてね」なんて言って自分を正当化して、私の未来を暗くするようなことを言う母。


私は本当に、一生この人の言うことに頷いていていいのか。



○「たまに降ってくる、嬉しいこと」


これがなかったらきっと、葛藤なんてなかった。

血のつながりを感じる瞬間。

私を守ってくれたこと。泣いてくれたこと。

行事も授業参観も全部来てくれたこと。

いつかのクリスマスプレゼント。誕生日プレゼント。

旅行。美味しい手料理。写真。

そして私は、私が2〜3歳の時の、母の日記のようなもの(正確には、保育所との連絡帳)を持っている。

母が私を愛していたことを知っている。

ちゃんと分かっている。

「自分は母に愛されていないから、母が嫌いだ」

なんてわかりやすい話では無いのである。

冒頭にも書いたが、私は自分の母親のことを「素敵な人だ」と思っている。


私が大っ嫌いなのは、母の「愛し方」だ。


ここ切り離すことができたことで、私は自分の葛藤に、折り合いをつけ始めることができた。私の世界は進んだ。




あなたがそう思っていても、私はそうは思わない


私はそうは思わない。

この言葉が、18歳になるまでずっと言えなかった。


「これが親切です」

「これが正論です」

「これが愛情です」

「私はそうは思いません」



親切だったとしても、もっと言い方あったよね。

正論って、人を傷つけることがあるんだよ。

愛情って、押し付けるものじゃないんじゃないの。

あなたはそう思ってるんですね。

けれど、私はそうは思いません。



そう言うことができるようになった世の中だから、沢山の時代を経て、令和になったから、私は洗脳に気づいた。


思えばいきなり、では無い。



12歳のとき、テレビで日本公開前の「Let It Go」を聞いて、鳥肌が立って、涙が出てきたことがあった。

Taylor Swiftの「Shake It Of」を聞いて、母に言い返せなかった悔しさを癒していた。



ずっとずっと心のどこかで、私はありのままの自分が好きだった。



私がこのnoteを届けたいのは、あの時の私だな。。。


知らず知らずのうちに受けていた洗脳に気づいたことで、いま、苦しみがなくなったわけじゃ無い。

悩みは尽きない。全っ然尽きない。


だけど、私は今、自分のことがめちゃくちゃ好きだ。


母の「愛し方」を嫌いになって、自分のことを好きになれた


今、私は実家暮らしだけれど、早く一人暮らししたいと思っている。そのためにお金を貯めている最中だ。


こう思えるようになってから、沢山のことができるようになった。

今思うとびっくりだ。私の人生は、今になってようやく完全な「私の人生」になった。

なんてったってこんな長文のnoteが書けた。嬉しい。私は私を褒める!



ここまで読んでくださってありがとうございました。




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